経済・政治・国際

問責決議案の先送り

 日中首脳会談は、リンリンに代わるパンダ来日が決まったのが成果???ってとこですが、連休明け後も相変わらず内政は混迷を極めそうな気配です。

 追い詰められる福田内閣を一気に攻めたい民主党なのですが、どうも腰が定まらないのですね、これが。。。

 道路整備財源特例法改正案の再可決後の首相問責決議案を先送りして、野党が提出する後期高齢者医療制度廃止法案の審議動向を見極めて、とのことなんですが、どうしても及び腰の印象は否めません。

 一般財源化するとした福田首相の発言と特例法の再可決は明らかに矛盾するわけですから、その場面で問責の名分は十分すぎるほどあります。もちろん後期高齢者医療制度も廃止するのが筋でしょう。しかし、じゃあ来年度以降現行制度に戻せばいいというのも付け焼刃といわざるを得ません。問題は医療費負担における世代間をはじめとするアンバランスを解消するために国費をどう配分するかです。後期高齢者医療制度の場合、当事者に負担増を押し付け、そのうえ医療費を抑制しようとすることが大間違いなのですが、だからといってこれまでの老人保健制度がいいわけではないのです。

 どの場面で問責を出すかはすぐれて政治判断とはいえ、評判の悪い制度を廃止して元に戻すというだけでは、少なくとも政策としては稚拙だ思うのです。もし、道路より医療が国民受けしインパクトが強いと判断しているのなら、それもまたポピュリズムでしょう。

 ただ政治判断としても、支持率でも民主が自民を抜いている時期をみすみす逃すのは賢明とは思えません。もっとも民主党には問責カードしかないわけですから、その扱いが慎重になるのは理解できないわけでもありませんが、時期を逸してしまえばカードの価値が下がるということにも敏感であるべきです。

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福田首相の奇妙な余裕

 衆議院の再可決で税制関連法が成立、明日から暫定税率が復活するのは周知のとおり。

 為政者は国民世論に忠実であるべきことなどいまさら強調するまでもないことですから、彼我の状況を冷静に判断すれば、再可決はすべきではなかったはずなのですが・・・。

 ですが、僕には、福田首相のコメントを聞いていると、なにやら奇妙な余裕すら感じられるのです。とくに根拠があるというわけでもありません。政治家にありがちな脂っこさがないという僕の福田さんへの印象がそう感じさせるだけなのかもしれません。

 もっとも、野党側にすれば参議院で問責決議をあげ、国会審議をストップさせるという手段しかないのですから、福田さんは「どうぞご随意に」という構えなのかもしれません。しかも皮肉なことに衆議院山口二区補選での野党の勝利が、ともかく解散を回避するという一点で与党内がまとまる結果を生んでいます。

 不人気の福田内閣で解散などすれば与党にとっては自殺行為ですし、仮に総理の首をすげ替えるにしても、虎視眈々とポスト福田を狙っている方々も選挙管理内閣ではご免こうむりたいということになるでしょう。

 与党の選択肢は、支持率が下がろうが内閣を支える以外にないという事態にあることを福田さんはよく知っているがために、淡々としていられるのかもしれません。

 ばかばかしいお話ではありますが・・・。

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同意人事を矮小化するな

 総裁不在がやっと解消されるのはそれじたい歓迎すべきですが、あきれ果てたのが同意人事をめぐる民主党の対応。

 当初は武藤副総裁の昇格でも了としていた小沢代表が、何を思ったのか財務省出身者はすべからく天下りゆえダメと言い出すや、党内反小沢の面々は、財務次官だった武藤氏には財金分離の原則を理由に反対していたのに、財務官だった渡辺氏の副総裁就任は「好印象だった」から容認すると言うんですから、空いた口が塞がりません。

 日銀人事を政争の、それも党内の覇権争いの具にするのですから呆れてしまいます。いくら真剣に検討したんだと強弁しても、各々の主張に一貫性がなく矛盾しているんですから、お話になりません。

 政策論議を政局論で磨り潰してしまう姿勢では国民の信頼を得られないことにそろそろ気づくべきでしょう。早期解散に持ち込むために政府与党に揺さぶりをかけるのは、野党の常套手段ではありますが、本当に民主党が政権を獲るつもりなら、政策の優位性を満天下に示して揺さぶるべきです。その姿勢がない限り、そもそも国民は早期解散を望まないのではないでしょうか。

 福田内閣がダメだからではなく、野党がより優れているという世論の支持がない限り政権交代など儚い幻想に終ってしまいます。

 もっともこのままでは福田内閣延命にもっとも貢献しているのは民主党ってことになるでしょう。 

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中選挙区の遺産

 政治学者の佐々木毅氏は、日経のインタビュー記事(4月7日付、「政治の不全を問う・1」)で、「政党自身が所属議員を含めてマネジメントが全然できていない」「政策などの内容を詰めてマネジメントする能力は未熟」と指摘しています。

 おそらく、当面する政策課題に党内の意思統一がままならない与野党の状況にいらだちを感じておられるのでしょう。21世紀臨調の主要メンバーとして「提言」してきたのに、政党や政治家は「なにをしているのだ」というところでしょうか。

 僕が興味深いのは、この現状は二大政党制をめざした政治改革の失敗だという批判について、

 「私たちはふさわしい制度をいくつか作り上げたという自負はある。政党組織がうまく動かないのは、究極的に言えば、自分党的な体質が残っているからだ。個人後援会を含めて中選挙区時代に培われた体質が、政党の組織化にとって最大の障害物になっている」

 と述べられている点です。

 ちなみにこの指摘は、全面的に当たっていると思います。「自分党的体質」が政党政治を著しく歪めてきたことは事実だからです。例えば自民党の場合政党組織というのが地域に根を張っているわけではなく、実態は個人後援会の下部組織のような場合が多々見られます。自民党の場合極端でしょうが、大なり小なり党の看板ではない個人ブランドを確立している政治家が評価される風潮が一般的です。民主党の一部議員にはあえて後援会を作らず、政策とはさほど関わりのない親睦的活動をやらない人もいますが、ごく少数に過ぎません。

 さて政党政治が機能しない最大の障害物たる「自分党的体質」がなぜ残るのか。答えは簡単です。それを取り除かれたら居場所を失う政治家が少なくないからです。政策能力や見識とは違う次元で政治をやってきた者にとって、佐々木氏が指摘するような経営管理能力を持った政党組織が動き始めれば、自身がお払い箱になることなど火を見るより明らかです。ですから彼らはなんとかして家父長制的体質を守ろうとして、新しい芽を摘み取ることに精を出します。身を守ることを第一義とする者にとって、自らを乗り越えていく存在それ自体許されないからです。

 ちなみに、佐々木氏は中選挙区時代の体質が残存しているかのようにとらえられていますが、実態はこうした悪しき体質は小選挙区制になって強化されたと見るべきでしょう。

 小選挙区制導入には金のかかる選挙を是正していくという目的もあったはずでしたが、結果はまったく逆でした。これまで以上に金がかかることになり、さらに既成政党以外が参入しずらい制度設計にしてしまったがゆえに、むしろ「政治の不全」はいびつな選挙制度が温床になっている側面も指摘しなければなりません。

 中選挙区時代は一つの「自分党的体質」さえあれば、なんとか当選できたのに、小選挙区になるといくつもの「自分党的体質」と折り合いを良くしなければ当選がおぼつかないわけですから、政策や政治信条ではなく歪んだ義理人情が優先されることになるわけです。

 選挙区が中か小かなど実はなんら本質的ではありません。しがらみから脱することができない制度設計である限りどちらにせよなにも変わらないのです。根本は金と人手がかかる仕組みにあります。「金のかからない」ではなく「金をかけられない」制度にすればそれが、中でも小でも、問題は解決するでしょう。

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保守の多様化

 先日も話題にした映画「靖国」上映をめぐる騒動。ひと昔まえなら、保革の論客が口角泡を飛ばすところですが、映画上映に事実上の圧力となったとされる動きをする保守政治家もいれば、警鐘を鳴らす保守政治家もいるため、いわゆる革新に属する政治家が登場しなくても、あらかたの論点が出尽くしている感があります。

 かつては、保守といえば、改憲、日米同盟を柱とした外交政策、中国への強い不信と警戒感などが共通するキーワードでしたが、ここにきて保守勢力のなかで、発想の多様化が進行しているように見受けられます。

 というか、故宮沢元首相に代表される穏健なリベラル派は、もっとさかのぼれば石橋湛山、三木武夫といった人々以来脈々と流れてきたものですが、革新陣営が一定の勢力をもっていた時代は、左右から中途半端な印象を与えていました。右からは弱腰だと、左からは所詮ブルジョア民主主義に過ぎないといった風に論難されることもしばしばでした。

 しかし、革新勢力が総体として衰退するなかで、政治全体が保守化していると評価するのは簡単ですが、むしろ本来革新の側が専売特許のように訴えていたことを、保守政治家が主張することで政治のバランスが保たれていることを注視すべきではないでしょうか。少なくとも所詮彼らは保守だからと断じるのは簡単です。しかしこれまで革新陣営に属していた者はなおさらこの状況を看過すべきではないと思うのです。

 資本主義か社会主義かという二者択一の時代が終わりを告げてすでに長い年月が経っています。社会主義と対置させて資本主義の優位性を説明できなくなったため、その質をめぐって問い直す必要が生じ、結果、保守の側から多様な発想が生まれることになったのでしょう。

 一方、日本における共産主義(科学的社会主義)、社会主義(社会民主主義)が、冷戦崩壊以降社会変革の構想について深化させることができたかどうかも問われなければなりません。いま僕に答えは用意できませんが、少なくとも国民から受け入れられたかどうかという点では、保守に比べて劣勢は否めません。

 おそらくいまは、保守、革新といった枠組みとは別の政治的枠組みへの転換に向かう過渡期だと考えられます。その意味では混沌とした状況が当面続くでしょう。では新しい時代を切り開くのは誰か。それは保守でも革新でもなく、古い秩序を乗り越えようとする者のみではないでしょうか。

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福田首相に再議決はできない

 僕が気遣う筋合いでもないのですが、もし福田首相に政権維持の意欲があるならば、一度失効した暫定税率を復活させないことです。

 もちろん3分の2の衆議院再議決は可能です。ただし直近の民意は昨年の参院選の結果ですから、それ以前の結果をたてに再議決を行うことには禁欲的であるべきです。

 また、この間の国会の混乱について世論は与野党双方に責任ありと判断していますし、再議決をしなかった場合、その予算を見込んでいる自治体からの批判はあるでしょうが、世論はむしろ歓迎するでしょう。

 ねじれ国会では、一定野党の要求を呑むことが政権を維持するコツでもあります。まして世論の動向がはっきりしている場合は無理押しをしないことです。

 負けるが勝ちという言葉もありますが、世論にある程度忠実に政権運営をしていれば、政権交代がなくても構わないという空気も生まれてきます。民主党にしてみれば、政府与党が野党の要求を突っぱね続けることのほうが都合がいいわけですから、少々弱腰に映っても、野党の要求をも取り込んでしまうことのほうが、むしろ与党側には有利に作用します。

 内閣支持率が危険水域に達しているのですから、政権を投げ出したくないのであれば、支持を回復させるための知恵を働かせるべきなのです。野党側が「その点は評価せざるを得ない」という調子のコメントを出さざるを得ない提起を続ければ、世論の動向も変化するでしょう。

 いずれにせよ、いまなにが国民にとってプラスかを見極めてもらいたいものです。

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政界再編の胎動

 加藤紘一氏の「ビビンバの会」など、きなくささを漂わせつつも政界再編をにらんだ動きが始まっているようです。

 この種の動きは、政治家とりわけ現職国会議員が所属政党を離党する決意をしない限り成就しないものです。

 それだけに、橋本大二郎前高知県知事の衆院選立候補表明は、自民、民主の予定候補者のいる選挙区にあえて参入するものだけにかなりインパクトがあります。

 無所属で立候補するは言いつつも、「政界再編の流れの中で中心的役割を果たしたい」と述べたうえで、「同志が集まれば新党の形を作るのもあり得る」とされており、いわば再編を加速させるためのボールを投げたとも言えそうです。

 地方分権や福祉、環境などの政策を掲げ、「既存政党との違いを示して、有権者の理解を得たい」と強調されてもいます。

 最近は語られることも少なくなりましたが、保守中道革新という構図に改憲か護憲かという立場を組み合わせて、政党の立ち位置を示すことそれじたいを止揚しようとするのであれば、一面画期的な試みともいえます。

 先日紹介した田中秀征氏の第三極論とも通じるところがありそうです。

 言うまでもなく、既存の枠組みのなかでその枠組みを突破する事はできませんし、既成政党の離合集散は本来の意味での政界再編にはあたりません。

 いずれにせよこうした動きが出てくる背景には、参議院での与野党逆転が、必ずしも二大政党による政権交代の前段とはいえなくなっている現実があります。政府与党を追い詰めるのは野党として当然だとしても、ここ数ヶ月の国会の混乱によって、内閣支持率は大きく下げていますが、それに代わる政権をどこが、だれが担うのかについてはまったく現実味を帯びて語られていません。これは野党にとって致命的ともいえます。

 その理由の一つには、民主党は確かに政府与党に対案を示してはいるものの、政策の全体像(いわゆるマニフェスト)を具体的に明示しいないことも要因でしょう。

 そのため、野党が政権をとっても変わらないということではなく、そもそも与野党の根本的な違いがわからないという状況を呈しています。もちろん、暫定税率や一般財源化なども重要な政策課題ですが、マクロな視点での未来構想が、野党の動きから窺い知れないということです。

 かかる状況の総体をさして政治の閉塞状況が生まれているというべきなのでしょう。

 しかし閉塞状況を突破する役割を、それを作り出している既存の政党にできるわけがないことは自明の理です。

 橋本氏の投げたボールが、政界に波紋を起こすかどうか、自身がいま座っている安楽椅子を蹴飛ばして、あえて厳しい条件のもとに身を投じる者が出てくるのかどうか。まずは、注視したいと思います。

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一般財源化と暫定税率

 先日来不思議でならないのは、道路特定財源の一般財源化に踏み込みながら、暫定税率は維持するという福田首相の提案。

 一般財源化するということは少なくとも道路整備の費用を捻出するための暫定税率の存在理由もないはずなのです。福田首相はしきりに環境問題に言及されるのですが、それは次元の異なる話だからです。

 もちろん環境政策の充実は必要ですし、そのための財源を確保することも当然です。環境に負荷を与える行為に租税を課すことそれじたいには僕も異論は差し挟みません。が現行の暫定税率は道路特定財源とひとくくりで語られるべきものです。

 ガソリン税の税率を現行のまま維持し環境問題に対応するというのなら、暫定税率ではなく、恒久税にするとはっきり言うべきでしょう。税の性格が変わるのですから、本気ならそう開き直ってでも国民に理解を求めるべきなのです。

 話は変わりますが、衆議院で与党が3分の2以上を占め、参議院は野党が過半数を抑えているというきわめていびつな逆転国会のおかげで、与党側が法案を通すのに四苦八苦するのは当然です。しかし、最後は再議決になっちゃうケースが多いため、野党側も攻めあぐねる場面が増えてきました。一方、与党にとって3分の2議決のありがたみは手放せないものになりました。その結果、野党が追い詰めれば追い詰めるほど解散が伸びるという奇妙な状況が生まれつつあります。

 与党、野党ともに極めてまれば歴史的な経験の真っ最中なのかもしれません。

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政策論議を深めよう

福田首相の新たな提案への各紙の論調は、おおむね特定財源の一般財源化に踏み込んだことを評価した点で共通しています。また、

 「日本経済や国民生活を混乱させないという一点で、福田首相と小沢一郎民主党代表が胸襟を開いて話し合ってもらいたい」(日経)

 「国民の生活を混乱させないため、今度は民主党の小沢代表が決断する番だ」(朝日)

 などと、与野党協議での事態打開を求めているのも特徴的です。

 

国民生活の混乱を目の前にして、野党側が「責任は政府・与党にある」と言い張り続けるのはダメよということなのでしょう。

 確かに一市民の感覚からすれば、民主党が突っ張っても、最終的には政府案が成立する状況下で、出口が遠のいた分しわ寄せは国民がかぶることになれば、与野党共に妥協せよということになるのはごく自然です。

 「政府与党の責任を追及する」ことと「国民の負託に応える」こととのバランス感覚はむしろ野党の側に問われているのかもしれません。

 とりわけ今国会では、参議院での与野党逆転がもろに反映し、法案処理の技術的な話が目立ち、必ずしも政策論議が深まったとは言い難い側面を否定できないからです。

 

僕には福田首相の新提案はその場しのぎの観が否めないのですが、いくつかの点で踏み込んだことは事実ですから、もし与野党協議が国対政治の駆け引きではなく純然たる政策論議の場になるならば歓迎したいと思います。

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苦し紛れ?の福田首相

 今日の緊急記者会見で、福田首相は来年度から道路特定財源を一般財源化するとともに、10年で59兆使うとしていた道路整備中期計画を5年に短縮すると発表しました。

 首相の新たな提案は以下の7点です。

 1、地方財政や国民生活の混乱を回避するため、平成20年度歳       入法案の年度内成立

 2、道路関連公益法人や道路整備特別会計関連支出の徹底的な無駄の排除

 3、道路特定財源制度は今年の税制抜本改正時に廃止し、21年度から一般財源化

 4、暫定税率分も含めた税率は、環境問題への国際的な取り組み、地方の道路整備の必要性、国・地方の厳しい財政状況を踏まえて検討

 5、道路の中期計画は5年として新たに策定

 6、新たな整備計画は、20年度道路予算の執行にも厳格に反映。20年度予算における一般財源としての活用は、民主党から現実的な提案があれば協議に応じる

 7、与野党協議会を設置し、一般財源として使途のあり方、道路整備計画などを協議・決定

 というわけですが、民主党の主張は今年度からの一般財源化、暫定税率廃止ですから、基本的には呑めないでしょう。しかも暫定税率については来年度以降も維持したいと言っているわけですから新提案はいわば苦し紛れの彌縫策の域を超えません。ただ中期計画を5年に短縮するとした点は、首相なりに清水の舞台から飛び降りたのでしょうが・・・。

 5、6点目の提案は、政府としては最大限野党に歩み寄る姿勢をしめしたようにも見受けられますが、1点目で今年度の歳入法案の年度内に成立させるとしている以上、2点目以下は、政府案を成立させてくれば考えてもいいですよと言っているようにも映りますから、野党サイドからすれば「はいわかりました」ということにはなりません。

 おそらく、首相も民主党が簡単に呑むとはよもや思ってはいないでしょう。一見低姿勢に国民の声に耳を傾けたんだというポーズを示して、起死回生を狙っているということでしょうか。というか、民主党がはなから相手にしないことを見越して、政策論議を民主は拒んでいるという印象付けをしたいのかもしれません。

 現状ではよほどのことがない限り内閣への支持が回復することはありません。それがわかりきっているから、民主党の支持が広がらぬよう、「なんでも反対」「国会の混乱は与野党双方に責任がある」という世論を作り、相打ちに持ち込もうという魂胆なのかと僕は勘ぐってしまいます。もしそうなら首相もなかなかクレバーなお人ではありますが。 

 もっとも「福田さんはダメだが、民主党にも任せられない」という空気の中、政治がひたすら迷走を続けることで一番被害をこうむるのは私たち一人ひとりだということだけは確かです。

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わけのわからない福田首相

 「正直言ってわけがわからないんです。対話できるならしたいが、お答えがないのが現状です」とは、福田首相のお言葉。

 道路特定財源の修正協議が進まないことにずいぶんとあせっておられる様子は窺い知れますが、わけがわからないのは福田さんの方でしょって感じではありますね。

 与党の修正案は確かに一般財源化に向けて見直すといいつつ、とりあえず今年度は暫定税率を維持して、来年度の税制改正に先送りするというものですから、そりゃあ民主党が呑めるわけもないでしょう。もっともこの辺りは、政策論と国対政治のテクニックが交錯していてわかりにくいところはあります。

 要は、年度末までにしょりしなきゃならない租税特別措置は暫定税率だけではなく、残り7つの措置は与党はもちろん民主党も賛成なんです。だから対決モノだけ民主党は分離して法案を用意したわけです。ここで与党が分離処理に応じていれば、混乱はしたでしょうが、肝心の暫定税率の分を衆議院で再可決をすれば、与党側は一応乗り切ることができるはずだったのです。

 もっとも、いわゆる「みなし否決」の期日は4月末ですから、その頃には再可決するでしょう。が、となれば参院で首相の問責決議案が可決されることになるのは必定。

 ここから先は不透明ですが、まず解散総選挙はありえません。とすれば、開き直った福田さんが首相の座に居座り続けるか、四面楚歌で総辞職かのいずれかになるんでしょう。

 いずれにせよ、政局の混乱は避けられませんが、その際、自民はダメだが民主にも任せられないという国民世論が持続しているのであれば、新たな枠組みを求めた政界再編の可能性も出てきます。政治の閉塞状況を作り出している責任は与党だけでなく民主党にもあるのですから、双方を乗り越えようとする新たな枠組みが意外と早く登場するかもしれません。

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チベット暴動に思う

 ラサの僧侶たちのデモが端緒だとすれば、すでに2週間が経とうとしているいわゆる「チベット暴動」。デモ隊と治安部隊の衝突が表面化する前日の報道では、ダライ・ラマ14世がわざわざ「北京五輪を支持している」と発言しているところからみると、事件が報道される前からなんらかの伏線はあったのかもしれません。

 いまのところ日本政府の対応については「意見があれば言わせていただく」と福田首相。最近おとぼけが目立つ福田さんですが、相変わらずのようです。むろん暴動はさまざまな事実が積み重ねられた結果でしょうし、その経過の中ではどちらか一方に非があると断定するのは難しいかもしれません。

 しかし、です。中国政府は治安部隊を出動させ、武力で市民を駆逐しようとしたこと、そして無辜の市民が犠牲になったことは明白な事実です。それを認めているからこそ中国側は「国内問題だ」と開き直っているのです。

 少なくとも、人権が普遍的な価値であると認識するならば、事態の収拾を中国政府に求めるのは当然のことなのです。例えば、イギリスのミリバンド外相は「双方の抑制」「対話の継続」を求める発言をしていますが、これとてあたりさわりのない話とはいえ、「抑制」は強い側にとって足枷になりますし、「対話」は武力の撤退を意味します。せめてこの程度のことを日本政府が発信してばちが当たるわけがありません。

 僕はあえて「少なくとも」と述べました。というのは、もし人権を普遍的な価値だと認識しないのなら、中国が「国内問題だ」と強弁すれば、「そうですか」って引き下がることもあり得るからです。それに福田さんに人権云々など求めるのがそもそも野暮なことかもしれないからです。ただ、それだけに人権の普遍性にこだわる者はきちんと声を挙げるべきでしょう。

 付け加えておくとこの点はチベット独立を支持するか否かという立場に関わりない問題です。歴史的経緯からすると、チベットへの軍事侵攻したのはいまの中国政府ですが、かつての中華民国、国民党政府もその領有権は主張していましたし、戦前チベットの独立を認める国がなかったことも事実です。中国政府に言わせれば、清の時代から中国の一部分だったのだから、チベットを侵略したわけではないという理屈になるのでしょう。

 しかしいま問題なのは、チベットの独立に正当性があるのかどうかということではなく、無辜の市民が銃口にさらされているという事実なのです。

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日銀総裁が空席!?

 ドル安で日本経済があたふたしている真っ最中に、日銀総裁が空席になるとは、かっこ悪いことおびただしいですね。

 各紙の論調は、もともと武藤副総裁の昇格にさほど異存はないという風で、民主党の対応に辛いものでしたが、僕は一紙くらい財金分離の意義に言及するところがあってもいいじゃないかとは思っていました。

 しかしこの期に及んでまたぞろ財務官僚上がりの方を総裁候補に持ってくるとは、福田首相はいったい何を考えているのか不可解としか言いようがありません。だって野党が呑むわけないのですから。おそらく水面下の交渉は自民・民主間でなされたでしょうし、なんの保証もなく、新人事案をさしたわけでもないでしょう。そのあたりの事情はよくわかりませんが、日銀総裁人事が民主党内の覇権争いの具にされているかのごとき風聞も伝わってきます。

 ただいずれにせよ、そもそも同意されないのがわかっている人事案しか出してこない政府側の責任は重大です。だいたい総裁の任期が切れることも、参議院での与野党逆転で同意人事が綱渡りになることもとうにわかっていたことなのですから。

 ともあれ、茶番劇にもならないお話を云々するよりも、せっかくの機会ですから、財金分離の原則に立ち戻って、金融政策の独立性を論じたいものです。 

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道路特定財源からタクシー代?

 読売新聞によれば、

 「国土交通省の出先機関である地方整備局で、ガソリン税などの道路特定財源を原資とする道路整備特別会計(道路特会)から、道路部局関係職員のタクシーチケット代金として、2002年度から5年間で総額23億7800万円が支出されていたことが16日、明らかになった」そうです。

 「地方整備局や、同局の下にある国道事務所など、道路部局関連の職員は全国に約1万2000人いる。国交省によると、道路特会からのタクシーチケットは、深夜残業の際の帰宅用や、日中の業務で公用車がない場合などに使ったという」ことで、国交省道路局は「道路関係の仕事をする職員のチケットなので、道路特会からの支出は適法だ」といっているとのこと。

 職員が仕事のために使ったから適法だということらしいのですが、ならば、明細を出すべきでしょう。適法かどうか判断できないデータしか示さないまま、「問題ありません」ではお話になりません。

 5年で23億ですから、1年平均4億6千万です。ちなみに一般会計からも毎年6千万支出しているそうですから、おおむね年間5億とみていいでしょう。職員は約1万2千人ですから、一人あたり年間4万を超えるタクシー代を使ったという計算になります。

 実際はどうでしょうか?

 職員のタクシー代で年間4億以上ってのはありえない話ではないでしょうか?

 まず、すべての職員が深夜残業するわけではありませんし、日中タクシーを使ってまで仕事をする職員も限られているでしょう。1万2千の職員全員がタクシーチケットを使うことなどありえません。

 しかも仮に深夜残業があってタクシーが必要な場合、少なくとも同じ方向に帰る職員は相乗りするでしょう。一台に最低3人は乗れるわけですから。また残業した職員すべてがタクシーで帰らなければならない環境にあるとは限りません。

 公用車がない場合に使ったとも国交省は説明していますが、常識的に考えて、公用車がないことが頻繁ならば、公用車を増やせばいいのです。200万の車を仮に100台購入しても2億ですし、日本車なら最低10年は持ちます。ガソリン代などを考えても5年間で23億もかかることなどありえません。

 と考えてみると、果たして職員のタクシー代に23億が消えたのかという疑問が沸きあがってきます。

 通常タクシーチケットなるものがどう使われているかといえば、ケースとして多いのは接待をした相手に、タクシーを呼んで別れ際に「これを使ってください」と渡すパターンです。じゃあ彼らが誰を接待するのか? 出入りの業者ということはないでしょう。まあ彼らから接待を受けることはあるかもしれませんが。

 となれば、内部でのいわゆる「官官接待」か、「関係各方面」にプレゼントしているかのいずれかか、両方かです。当然推測の域を超えませんから「関係各方面」の中身には言及しませんが、特定財源を守るもしくは守ってくれる立場にある「各方面」ということです。

 これはあくまで僕の推測です。

 しかし、僕に限らず容易に推測できる範囲のことです。

 それゆえ特定財源をタクシー代に使ったことがけしからんという問題を超えて、本当にそうなのかという点を追及することが肝要だと思うのです。

 そのためにまず総額だけではなく明細を出させるべきです。そして明細をさらにチェックしてゆけば、かならず辻褄の合わないケースが出てくるはずです。

 ひょっとしたら、大きなスキャンダルの種になるかもしれません。

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円高

 円高というよりもドル安がといった方がより正確だと思いますが、ここ数日の為替相場はむろん日本経済の先行きを考えたとき安閑とできるものではありません。

 ただ、今回の場合冒頭で触れたように、アメリカ経済の行き詰まりが露呈したわけですが、日本の輸出産業は対米貿易のみに依存しているわけではありませんかし、個々の企業間に当然差はあるでしょうが、ドル安への免疫もできているでしょう。また原油などの輸入部門は若干一息つけるのかもしれません。

 株価の下落も、そもそも海外市場が日本企業への関心を失いつつあるということが問題で、円高が主要因ではありません。

 総裁人事でもめている日銀も慌ててドル買いに走ることもないでしょう。

 ちなみにグローバル経済のなかで、この種の問題はむしろいつあっても不思議ではないと考えておくべきでしょう。もちろん企業はそれなりの経験を踏まえ工夫はこらしているはずです。しかし、重要なのは内需です。企業が利益をあげているのに国民消費に反映しない現状こそ打開すべきなのです。

 内需を軽んじ海外で儲けて帳尻をあわせる経済は、円高になろうが円安になろうが、もともと脆いのです。

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田中秀征氏の慧眼―「政界再編へ第三極結集を」を読む

 読者があまり重なっていないようなので、今回は昨日発行したメルマガと同じ文章を掲載させていただきます。手を抜くわけではありません。ご寛恕ください。

  田中秀征氏が「政界再編へ第三極結集を」と題した論稿を、各地方紙に発表されたのは先月のことですが、僕は最近になって人に薦められ読む機会を得ました。

 テレビ等の発言でも常に冷静で論理的な氏の話にはひそかに敬意を表してはきましたが、改めて氏の慧眼に敬服しているところです。

 氏は、今の政治状況を、細川政権成立前後の92、3年とそっくりだ
ととらえます。当時の自民、社会両党が新たな針路を切り開くことができないなかで、国民の期待は日本新党、新党さきがけなど新たな政治勢力に向けられたが、同様にいま自民、民主両党への期待感が薄れているというのです。世論調査をみた場合、連立政権や大連立にはそれなりの支持があるのに、両党の単独政権への期待は10%程度に留まっていることはその証左だというわけです。
 それはなぜかとの問いには、両党とりわけ民主党に政策のねじれが存在し、基本政策で意思統一できないことに根本的理由を見い出されます。
 それゆえ、氏の言葉を借りれば「終ったはずの政界再編が再び大きな政治課題となる可能性が生まれて」きており、いまこそ政策のねじれを 解消し、同じ考えの人が同じ政党に結集することが必要だという結論が導き出されるのです。それこそ政界再編を促す新たな第三極というわけです。

 氏は、時代の要請に合致した明確な政策目標、少数でも清新で優れた人材による同志的結合によって、圧倒的な世論の支援を受ける精鋭集団が出現すれば、政局は一気に流動化すると説かれるのですが、むろんもしそうした新党が生まれれば大きなインパクトを与えることは想像に難くありません。
 では、新党は何を柱にするのかという点は、
   1 日米同盟より国際協調を重視
   2 官僚主導から国民主導の政治への転換(官権から民権政   治へ)
   3 地球温暖化や格差問題などグローバル経済のマイナス部分の除去
    の三点を挙げられます。
  氏は「改革リベラル」と表現されるのですが、その背後には「行政改革を熱望しイラク戦争に反対する」有権者を収容する政党がないという問題意識があるようです。
    
 正直僕は田中氏の主張には大いに共感するのです。というのは言い回しはやや異なりますが、かつて社会党も「民主リベラル」「社民リベラル」などといった表現で、おおむね氏が柱にしている点を取り上げ、政権交代可能な政党への脱皮を模索した時期があり、僕自身当時それに期待もしていたからです。残念ながらそれは挫折し、氏が参画された新党がその役割を担ったのが、細川政権前後の政治状況でした。

 さてそれ以上に僕が共感するのは、氏の構想には55年体制の崩壊とともに存在理由を失った保守、中道、革新という政治的枠組みの残滓を止揚する可能性があるからです。
 自民、民主両党を「保守二大政党」と位置づけ、革新の潮流を再結集する第三極が必要だという意見は全体では少数派とはいえ存在しますし、実際社民党も自身を保守二大政党と対峙する第三極だと位置づけています。
 ただ、改憲だから保守、護憲だから革新もしくは第三極というのでは現実の政治との乖離だけが浮き彫りになることも指摘されていますから、その意味においても氏の指摘は示唆に富んでいます。

 いずれにせよ、既成政党の離合集散からは新しい息吹は生まれません。
 新しい船に古い船頭が大勢乗り込んでも船が針路を指し示すことなどできないからです。
   「ここにきて政界再編の兆しのような動きも出てきている」
   「その機は着実に熟しつつある」
  などと意味深長な言い回しを氏はなさっておられます。
  このあたりは部外者には窺い知る事はできませんが、いまの政党政治そのものに閉塞感を抱いている一人として、大いに関心のあるところです。

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橋下知事の常識的発言

 産経新聞によれば、橋下大阪府知事と代表質問を行った共産党府議との間で、部落問題について激論になったとのこと。

 記事によると、
 共産党府議「同和行政を継続することは、かえって『逆差別意識』を生じさせるなど、同和問題解決にとって有害。同和行政を完全に終結することが必要では」

 橋下知事は「差別意識はまだ残されており、同和問題は解決されていないと認識している。一般施策によりその解決に取り組んでいる。解決されていないとういうのは、私の経験でも実体験でもある。いわゆる同和地区というところで育ったが、現在、同和問題は全く解決されていない」

 共産党府議「知事自身が差別意識がまだあるといわれたが、同和行政と同和教育は終わるというメッセージを発することが最も必要では」

 橋下知事「机上の論にとらわれることなく、本当に差別意識があるのかどうかを肌身で感じている人たちの話を聴いてから判断してほしい。差別意識というものは私の周りで現にあるということを認識している」「同和問題が解決されていない、差別意識があるからといって特別な優遇措置を与えていいのかは全く別問題。すべて一から総点検していく。ただし、同和問題が解決されたというのは全くの事実誤認、認識不足だ」

 というやりとりだったようです。

 橋下知事の認識がごく常識的なのは一目瞭然です。部落問題は差別意識をはじめ厳に存在し解消されていないが、それは一般施策のなかでやるべき。しかし特別対策云々は別問題ですべて一から総点検する。というのはほぼ百点満点といっていいでしょう。

 一方、共産党側は差別の存在それ自体を否定するわけですからお話になりません。

 もっとも橋下知事は、「同和問題が解決されていない、差別意識があるからといって特別な優遇措置を与えていいのかは全く別問題。すべて一から総点検していく」と、政策手法については共産党も一応は納得できるはずの答弁をしているのです。

 共産党が、差別はなくなったという枕詞を随所にちりばめるために、橋下知事は事実に即して発言しただけのことなのです。

 ちなみに、共産党は一般施策で差別と人権侵害に対処する行政をやること自体を否定しているのか、人権行政一般から部落問題だけをはずせと言っているのか、いずれにせよいびつな人権感覚というほかありません。

 とかく僕の周辺では評判が最悪の橋下知事ですが、もちろんその姿勢、見識には僕も疑問はありますが、今回の一件については、知事の認識を正当に評価したいと思います。

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金融政策はどこへいった

 「財政と金融の分離」をいまさら声高に言う必要もないことです。日銀の独立性を担保した日銀法改正からすでに10年。政府と日銀は意思疎通を図りながらも、金融政策は日銀の専管事項ですよ、ということは法律で定められたことなのです。

 この一点において、財務事務次官を務めた武藤さんが総裁候補になること自体、武藤さんの見識云々以前におかしな話なのです。というよりそもそも副総裁だったこともイレギュラーと言うべきなのです。

 ただ低金利政策を福井総裁とともに進めた御仁だから総裁昇格などもってのほかだという反対論もありますが、この点については、金融政策の選択肢を狭めてしまった政府の「構造改革」こそが問題の本質であって、総裁、副総裁が誰であれ、日銀に責任を押し付けるのはアンフェアです。不良債権処理によって金融機関のバランスシートは帳簿上改善しましたが、資金需要をさらに冷え込ませると言う副作用に政府は無策だったのです。結果金融機関に滞留した資金はサブプライムローンに向かい、またぞろ焦げ付きを生み出すことになっています。需要を喚起する政策をおろそかにした政府こそ断罪されるべきなのです。

 ちなみに政府の対応も不可解です。国会同意人事では衆議院の優越が認められませんから、参議院で否決されればご破算になることがわかっているのに、否決が確実な人事を提示するのですから、わざわざ自分の首を締めるようなものですから。

 ともあれ、金融政策を政争の具にしてしまうなど、天に唾する行為です。

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生きた政策を実現するために

 僕が関心を持って取り組んできた課題のひとつに中小企業政策があります。国会在職時は直接所管する経済産業委員会には所属していなかったのですが、ちょくちょく差し替えで質問したりもしていました。もっとも当時から主たる問題関心は税制や融資面など中小企業支援のスキームをどうするかといったものでした。

 例えば「地域再投資法」(金融アセスメント法)は、中小企業、地域へ資金が安定して供給されることをめざしたもので、中小企業の潜在能力や事業性・将来性の評価による融資拡大、金融機関の貢献度の評価・情報の公開などが柱となります。

 といったことを、今でもこだわっているのですが、この種の制度は当然ながら中小企業側のニーズと合致しなければ意味がありません。例えば融資の拡大であれば、資金需要がある中小企業にとって何がネックになっているのかをキチンとおさえたうえで、制度設計をしなければ実際に活用されません。

 最近そのことを考える絶好の機会をいただきました。いつも励ましをいただいている方から「君の政治活動の幅を広げるためにもいいんじゃないか」と勧められ、いま折に触れてあちこちのオンリーワン企業を訪問し、お話をうかがっているところなのです。貴重な機会をいただいたのですから、現場の生の声に触れながら、当事者のニーズに合致した生きた政策を訴え実現したいものだと改めて意を強くしているところです。

 

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社会民主主義の未来-2-

 おとといの「社会民主主義の未来」と題した駄文に対して、ある党員の方からご意見をいただきました。

 要約すれば、その際取り上げた議員の離党問題について党員であれば厳しくとらえるべきではないか、また背景には党の組織運営の問題なり党と議員、そして労組との関係性の問題が横たわっているはずだから、それらの点についても掘り下げるべきではないか、ということです。

 ちなみに先方には、おっしゃる意味はよくわかるのですが、当事者に確かめたわけでもないのに、揣摩臆測で物事を評価するわけにはいかないのです、との主旨の返信をさせていただきました。

 もっとも、僕がかつての社会党に入党してかれこれ15年以上が過ぎましたが、新たに仲間に加わった方より、党を離れていった方の方が圧倒的に多い事は寂しい限りですが、およそ政治の世界において他人の出処進退について云々することは、とりわけなんらかの評価を含む場合慎重であるべきでしょう。というのは、人の主義主張が変化することはままある得ることですし、党の側がその主義主張を変えることもあるからです。

 話は変わりますが、どの政党に所属していてもよく似たケースはあると思うのですが、例えば社民党の場合だと、これから社会民主主義を基本にした政治・政策をどう実現していくのかという思考と、党の勢いをどう拡大していくのかという思考が重なりあう場合もあれば、一方を突き詰めていくと一方がおろそかになることもあります。さらにとことん一方を突き詰めた場合、一方を捨象することもありえないわけではありません。

 「政治改革」という言葉はむしろ保守の側で多用されてきましたが、かつてそれを象徴的に打ち出した日本新党、新党さきがけに結集した多くは自民党に籍を置いた人々でした。政治改革という課題を突き詰めるなかで、もし自民党がそれに耐えうる存在なのだという結論が得られたなら、彼らはわざわざ新党を作ったりはしなかったでしょう。というか、彼らはそこまで政策課題の実現にこだわったということなのでしょう。が結果は選挙制度をいじるだけに終った以上、諸手を挙げて評価するつもりはありません。しかし、政党とは政策を実現するツールだと割り切った彼らの思考は健全だったと僕は思うのです。

 現実の政治状況において社民党が優位な位置にあるとは誰も思わないでしょう。しかし、国民生活にまなざしをむけたとき、社会的公正、平等を貫く社会民主主義の行動様式への需要はむしろ高まっているともいえます。その点に一条の光を見い出しながら、こだわるべきことにこだわりたいものです。  

 

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協同労働の協同組合

 「協同労働の協同組合(労働者協同組合)」といってもなじみのない方が多いのではないでしょうか。

 簡単に言えば、働く人が自ら出資し、働き、そして経営するという事業体=協同組合なんですが、雇用されることに慣れ親しんできた勤労者にとって即座にイメージが沸かないのは致し方ないのかもしれません。

 資本と労働経営を一体的に運営するなどといえばなおのことわかりにくいかもしれません。

 しかし、新しい働き方を働く側から創造していく試みは、すでに日本でも20数年を超える歴史を持っています。ただ残念なことにこうした協同組合には法的保障がないため、NPOや生活協同組合、企業組合などのスキームをいわば借用して運営するケースが多かったのですが、むろんこれらの制度では「協同労働の協同組合」の趣旨目的を担保しているわけではありません。

 そこで法制化が必要になるのですが、最近やっと超党派の議員連盟が設立され、法制定に向けて大きく一歩を踏み出しました。

 僕自身、議員在職中からずっとこの課題にこだわり、いまでもささやかながら活動にコミットさせていただいていますが、「法律が必要だ」という認識が少なくとも議員の中で普遍的なものになってきたことはうれしい限りです。

 かれこれ6年前になりますが、僕が本会議、予算委員会で法制化について取り上げた際に答弁をいただいた坂口厚生労働大臣(当時)が議員連盟の会長に就かれたことは、ほんと感慨深いですね。

 もっとも、昨日の集会で主催者を代表して挨拶された笹森清(前連合会長)さんと少しお話したのですが、氏によれば「坂口さんは誰がどんな質問をしたのか、自分がどんな答弁をしたのか覚えていないと言ってたよ」(笑・まあ6年も前のことですから仕方ないですね)ってことでしたが、議連会長は快く引き受けられたそうです。

 ともあれ、与野党でぶつかる課題ではないのですから、早期制定を期待しています。 

 

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社会民主主義の未来

 昨晩は、「平和条例」制定に向けた会合&懇親会ののち帰宅。いつものようにPCを立ち上げニュースをチェックしていたところ、

「昨年末、系列4県議が離党届 「厳しい党費負担」--1人は撤回  /広島」

 との記事が飛び込んできたのには正直驚きました。要は、社民党広島県連合に所属する県議全員が離党届を出したということですが、記事によると「県議の一人は理由の一つとして、「県財政がひっ迫し、議員報酬がカットされる中で、年間130万円の党費などを納め続けると生活が苦しい。党勢拡大への夢や希望があれば別だが……」と打ち明ける。一方で、「党への愛着は今でもある」と話している。」そうです。

 「党への愛着」はあるけれど、「党勢拡大への夢や希望」がないなかで、多額の党費負担はしんどいということでしょうか。

 広島の社民党といえば、全国的には一定の勢力を維持しているところだけに、一党員としてまずは驚くと言うほかありません。細かな事情は承知していませんから、それ以上の感想も述べようがないのですが・・・・・。

 確かにここ最近、党に近い方々から「社民党に未来はない」とはっきり言われることが増えたことも事実です。しかし一方で社会民主主義に未来がないなどと問い詰められることはありません。

 いわゆる社民主義の求める未来像は一定の共感を得ながらも、社民党にそれが体現できるのかと突きつけられているわけです。

 むろん僕にもすぐに答えは出せません。あえて言うなら、なにはともあれ批判に耐えうる現実味の帯びた政策を社民主義の立場から不断に提起し続けることにどれだけ意識的であるかが問われるということでしょうか。いずれにせよ組織や地域などといういわば仲介的存在を超えて一人ひとりの市民と直接繋がるために何ができるか、何をやるかが大切だと思います。

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石破さんはとかげのしっぽ

 飲酒運転のうえに人身事故を起こして、言うに事欠いて「相手が避けてくれると思いました」など、たわごとでは済まされないってことぐらい、さほど常識のない人間だってわかってるはずなんですが、どうやらそうでない人々がこの日本に存在することが判明したわけです。

 皮肉ながら、僕は石破さんが気の毒にさえ思います。洩れてくる話を繋いでいくと、背広組が舐められているってことが垣間見えてくるからです。

 ちなみに僕は、今回の事故に関わる直接的事実の隠蔽工作が組織的に行われたというより、事実を把握できなかった事実を隠蔽しようとしたと表現するのがより正確だと考えています。要は事実の隠蔽はその事実が把握されているから可能なのであって、今回の場合、防衛省首脳は何が事実かそもそも把握できていなかったことが、時を経るごとに露見しているわけですから。

 もちろん石破防衛大臣は罷免されるべきでしょう。しかし、大臣の首をとったところで、自衛隊の体質が変わるわけでもありません。その点では石破さんはあくまでとかげのしっぽに過ぎないのです。

 ともあれ防衛大臣が配下を統率できていないという事実だけがつまびらかになったということは、文民統制が成立していないというゆゆしき実態が白日のもとにさらされたことだけは確かだと言えそうです。 

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議長あっせん

 大山鳴動して鼠一匹というところでしょうか。

 「つなぎ法案」は筋が悪すぎますから取り下げるのは当然としても、あっせん案は与党にとっては渡りに船だったと言えますね。結果的には予算案・関連法案の年度内成立を担保したわけですから、民主党命名による「ガソリン国会」は閉幕したといって過言ではないでしょう。

 ちなみに与野党が議長あっせんを受け入れたのは、もちろんねじれ国会が背景にあるにせよ、要するところいい意味でも悪い意味でもいわゆる「国対政治」が機能していないことにあります。

 ことの良し悪しはべつにして、現実問題として「予算案」は与野党にとっての主戦場であるにもかかわらず、結果的には与党が勝つことが憲法上保障されているのです。そのことを踏まえて野党側も国会戦術を組み立てないと、単に日程上の駆け引きだけでは限界があります。というのは今回の「道路特定財源」の問題についても、議論の中身にはさまざまな評価があるにせよ、本来的には純然たる政策論争のお話ですから、例えばそれだけで国会審議をストップさせることは難しいからです。(いくらなんでもけしからぬ法案を出したから審議そのものに応じないなんてわけにはいきません。それに予算案とそれに直結する歳入関連法案の場合、その審議を遅らせるためのマクラ法案もありません)

 また一般的には40を超える税制を一括して「租税特別措置法」として審議するのはおかしいとの疑問はあるでしょうが、これまで一貫してそうした審議を与野党ともに了としていたわけですから、今回に限ってガソリン税を分離せよというのは少々無理があります。

 いずれにせよ仕切り直しとなったのですから、税財政のマクロな議論を期待したいものです。

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「ガソリン国会」に思う

 風邪をこじらせて以来もう二週間以上、体調不良が続き実に憂鬱な日々・・・。先日はさすがに外回りを控え休養をとったのですが、国会中継を見てますます不快感が高揚した次第。

 ガソリン税の暫定税率を維持するいわゆる「つなぎ法案」に至ってはブラックユーモアの世界と言うべきでしょうか。

 前にも書きましたが、今回の件はあれやこれやの政策課題とその財源問題を云々すればするほど事の本質が見えにくくなります。

 要は特定財源を一般財源化することが基本課題だということです。暫定税率の維持は道路特定財源を維持することとイコールですから、一般財源化にあたって暫定措置を廃することは複雑な理屈を必要としません。一般財源化は今後の課題で当面暫定税率を撤廃するなどというのは政策判断としてはあり得るでしょうが、問題の本質はあくまでも税率ではなく特定財源そのものの性格にあることは認識しておく必要があります。

 ちなみに暫定税率分を環境税にすべきとの意見もあります。むろん僕も炭素税は早期に導入すべきですが、広義の環境税としては環境負荷を与えるものだけでなく、環境の恩恵に浴するものも含めていくつかの新税を構想すべきでしょう。

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もはや「経済一流」でない

 大田経済財政担当相の「経済演説」はいまさら驚くに値しないものです。

 日本経済が一国で自立できていないことはすでに明らかだからです。僕は5年以上前から、内需拡大のために国民生活に的を絞った財政出動をすべきと主張してきました。べつに突飛でもなんでもなく、不景気の時には政府が景気を下支えをし、好景気の時には財政を締めるというあたりまえのことを述べていたに過ぎません。

 国民生活だけを延々と締め付けておいて、なにをいまさらという感は否めないですね。

 てなことを書きつつTVに目を移すと、ニュースに大田さんが登場なさっていますが、どうも世界経済のグローバル化に追いついていないなどとおっしゃってます。そのうえ足元の日本経済はそんなに悪くないとのご発言も・・・。

 大田さんはグローバル化に対応しなければと力説されますが、それは腕の力でホームランを打てるようにしようというようなもの。足腰が弱っていることこそ直視すべきでしょう。

 ちなみに大田さんが示す処方箋は、成長力の強化、財政の健全化などといったもの。これらは経済状況がどうあれ政策として不断に追求すべきものじゃないんでしょうか。

 一見インパクトがありそうで、実はなにも語っていない演説と評価して差し支えなさそうです。 

  

 

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暫定税率撤廃へ

 僕が所属する社民党も、道路特定財源の原資となるいわゆるガソリン税(揮発油税および地方道路税)の暫定税率撤廃を決め、民主党と歩調をあわせることになったようです。

 僕も党の決定を受けて存分に訴えていきたいと思います。

 ちなみに、この問題の本質は、単にガソリンが高いから税率を下げよというレベルでは当然ありません。財政法において国の会計は一本だという原則を定めながら、一般会計の数倍もの特別会計が存在するという矛盾、と同時にそのことで財政の硬直化が慢性化していることにあります。その象徴的存在が道路特定財源なのです。

 年間6兆近い財源があらかじめ使途を限定されているというのはどう考えても不合理です。

 これをきっかけに道路特定財源の完全一般財源化に進んで欲しいものです。

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政局どころじゃない!?

 唐突ですが、7日付日経の年金制度改革に関する提案は一読に値するものだと思います。

 僕の考え方の一端は、メルマガ「植田むねのりの食生活日記」に掲載させていただきましたので、よろしければご笑覧ください。

 さて、年明けとなればそれなりにご祝儀相場になるところが、日経平均は1万5千円を大きく割り込んでいます。

 アメリカの雇用統計が予想以上に悪いことをはじめ、世界的な株安、円高をもろに被った形ですが、外的要因はもちろんそもそも日本経済が脆弱だということに尽きるというところでしょうか。

 景気がいいなどと大本営発表を続けてきた政府ですが、化けの皮が剥がれてしまいました。

 経済の雲行きは当然政局にも影をおとすでしょうが、ちまちました政局の動向など吹き飛ばすようなさらなる悪化が心配です。

 もっとも景気経済の悪化が、いまだにくすぶっている大連立のきっかけになるかもしれません。与野党が対立している場合じゃないから「挙国一致内閣」が必要だという大義名分は、政局の動向からではなく、経済の動向から導かれる可能性は、僕はかなりあるのではないかと思います。

 小沢一郎氏の政界再編への思惑を経済の悪化が後押しすることになればずいぶん皮肉な話ではありますが。

 総選挙後の大連立をスムーズに進めるためにかどうかはわかりませんが、公明現職がいてかつ民主が未定の選挙区には候補者擁立を避けるという噂も伝わってきています。

 もっとも大連立が政界再編のツールにできるほど、日本経済が持つかどうかすら不安な状況の中で、政局にうつつを抜かすのは不謹慎だといういことに、少なくとも政治家は気づいてもらいたいものです。

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日中首脳会談

 日中首脳会談で驚かされたのは、中国側の福田首相への厚遇ぶりです。

 要するところ、中国は「日本は福田内閣でいいよ」ってことのようですね。

 理由はわかりませんが、少なくとも小泉、安倍両氏に比べて「常識的」とみたのかもしれません。実際福田首相の北京大学での講演要旨を一読する限りですが、例えば「自らの過ちに対する反省と、被害者の気持ちを慮る謙虚さを伴ったものでなくてはならない。過去をきちんと見据え、反省すべき点は反省する勇気と知恵があってはじめて将来に誤り無きを期することが可能になる」という言い回しなどは前、元首相は決して述べることなどなかったでしょう。

 もっとも、成果ほどのこともなく、あえて言えば胡主席の来日までに東シナ海ガス田問題を決着させるという点ぐらいですが・・・。 

 中国脅威論を声高にぶつ面々を抱えている民主党より福田首相の方が中国にすれば安心というお墨付きをもらったことは、それはそれで政権の安定と存続のポイントであることは確かです。対米従属を続けるかぎり中国が脅威であることなどあたりまえのことですが、少なくとも福田首相は平身低頭することなくかつ融和的姿勢をバランスよく演出したことは与党サイドからすれば一応合格点というところでしょうか。

 実際、野党としても今回の訪中を批判し尽くすだけの材料がさほどないのは正直なところです。

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「一石三鳥」

 報道によれば、民主党の小沢代表は次のように述べたそうです。そんまんま記事を転載します。

 

 民主党の小沢代表は28日、衛星放送「BS11」の番組収録で、自民党との連立政権構想について、「民主党の人に『政権とはこういうものだ』『政治とはこういうものだ』という(実体験を積ませる)訓練の場になる。『一石三鳥』で、(次期衆院選後は)民主党の本格政権は間違いないと思った」と振り返った。

 そのうえで、「(民主党の)年金の法案も、農業の法案も参院を通過して衆院に送られたが、野ざらしになっている。(連立参加の)政策協議で『やる』となっていれば、実現していた」と述べた。

 このとおりだとすると、小沢さんは、大連立を組めば、政権とはなんぞや、政治とはなんぞやということが訓練できて、次の総選挙後には民主の本格政権ができると思ったということになります。

 要は、今の民主党には実習が足りないから、自民党と一緒になって訓練すれば、力がつけようというのです。

 小沢さんのコメントは氏が自党をどう評価しているかということはよくわかりますし、自党の政策実現のためにそれが必要だったんだという信念はそれなりに伝わってきます。

 また、先行事例がないわけではありません。1966年、西ドイツでは、与党キリスト教民主・社会同盟と野党社会民主党との間で約3年にわたって大連立が実現しました。自由民主党が政権離脱したため政権を維持できなくなったからです。要は野党を抱き込まない限り政権が持たないので野党に譲歩する形で大連立が実現したのです。ちなみにその後社民党は自民党と手を組みブラント政権を実現します。この場合、確かに、社民党は政権入りし、その後本格政権へと進みます。

 この史実が小沢さんの念頭にあったのかどうかはわかりませんが、野党がその政策を実現する手段として大連立それじたいを全否定する必要はありません。

 しかし、小沢さんによる大連立のもくろみは、少なくとも野党ペースではなかったという点で西ドイツのそれとは決定的に違います。

 いやそんなことはない、という小沢さんは反論するでしょう。ひょっとして小沢さんには深謀遠慮があったのかもしれません。しかし、それがいかに堅牢に積み上げたものであったにせよ、仮に小沢さんの思惑通り「一石三鳥」であったとしても、あくまでそれは小沢さんの主観に過ぎず判断は間違いだったと言わなければなりません。

 答えは実にありきたりですが、「民意」を軽んじているということに尽きるからです。おそらく「民意」によって支持された政策を実現するために大連立を組むことは決して「民意」に背を向けることではないと小沢さんは考えたのでしょう。しかし現状での政治への期待が、濃淡はあれど政権交代にあることは確かだということは直視しなければなりません。「民意」に応えるためにはその点に収斂するべきです。

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保守政党と無産政党

 高校の日本史教科書には、おおむね政党の変遷が図表化されています。

 ひとつは自由党、改進党から始まって、憲政会、政友会、民政党、革新倶楽部等々、いわゆる日本の保守政党の系譜。もうひとつは、戦後日本社会党を形成する無産政党の系譜です。

 戦前、1925年に普通選挙法が制定されて以降、大政翼賛会に政党が事実上吸収されるまでの10数年、無産政党は衆議院に議席を確保します。が、全体から見れば議席は少数でした。社会大衆党が30を超える議席を獲得したのが最高で、もちろんそれでも、議会政治の主導権を握るなど程遠いものでした。

 しかし、政党の離合集散は、保守政党以上に頻繁で、無産政党はそれこそ日替わりメニューのように、分裂を繰り返していました。先に紹介した教科書の図表をみればわかりますが、労働農民党、全国労農大衆党、社会民衆党、農民労働党、日本労農党、無産大衆党、日本大衆党などなど、あまりにめまぐるしいのです。しかもよく似た名称ばかり。

 ちなみにこの戦前の伝統は、戦後からいまにいたるまでいわゆる日本の革新勢力に連綿と受け継がれていると言えます。例えば日本共産党は、党内対立が起これば必ず少数派が切られ、日本社会党の場合も、左右合同後数年を経ずして、民主社会党が分裂、その後は大きな分裂はありませんでしたが、96年の旧民主党への大量離党までの間も、他の政治勢力を糾合することはできない一方で、自民党へ鞍替えする人すら存在したことは事実です。

 おそらく、保守政党に大きな分裂が少なかったのは権力に近いということがあったのでしょう。一方、現実に政治を動かすという点で力量的に及ばない革新勢力は、我が党内に堅牢な秩序をこしらえ、権力の行使を党内で自己完結させたといえます。

 民主集中制などはその典型といえそうですが、家父長制的体質を色濃く持ったのも、むしろ革新勢力の側ではなかったか、と僕などは考えざるを得ないのです。

 卑近な例でいえば、「あの人の指示には逆らえない」「あの人に頼まれたら断れない」式の秩序感覚が革新勢力に属する者のなかにも多いのではないかということです。

 およそ政党という組織は、個人の人間関係の延長上に存在するものではなく、ある一定の理念について共有できる人々が集い作り上げるものです。その作業の過程でよりより人間関係が構築されることは喜ばしいことですが、こうしたあたりまえのありようが革新勢力の中であたりまえといえたのかどうかは、検証する必要がありそうです。

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硬質な政策論争がしたいものです

 いよいよ明日から、参議院選挙が始まります。本番中も選挙運動の合間をぬって「HOTひとこと」申し上げるつもりですのでよろしくお願いします。もちろん公選法上ひっかかるようなお話はいたしませんが・・・。

 さて、昨日の朝日は「マニフェスト-数字なしでは落第だ」、日経は「財源の裏付け伴う責任ある政策論争を」と題して、自民党と民主党のマニフェストを紹介しながら、政策の具体性、とりわけ財源の裏付けを中心に論じています。朝日は、自民党のそれに「数字」がすっぽり抜け落ちている点を指摘する一方、民主党の場合、新規施策に必要な予算とその捻出方法に言及していることを評価しています。日経の場合は紙数のほとんどを民主党の「数字」に割いてその現実性を論じています。

 両紙とも「具体的な論戦」「責任ある政策論戦」を求めていますが、その点はまったく同感です。

 朝日がいみじくも述べているように、マニフェストとは「政策目標、優先順位、財源、達成時期などを具体的数値で示す」ことに意味があります。その点からすると、自民党の場合明らかにマニフェストなどといえた代物ではありません。もちろん民主党のそれも生煮えの感は否めませんが、民主党のマニフェストがだめならば翻って自民党のそれは合格ってわけではありません。

 だからこそ、やや難解であっても硬質の政策論争が求められるのです。まずなによりもいま優先すべき政策はなんなのかという総論面での議論が必要でしょう。そのうえで主張する個別政策の意義について、そして財源をどうするか、その財源が現実性をもったものかどうか、等について、ただ相手をあげつらうのではなく、自党の主張の正当性、説得性をきちんと述べることが大切です。

 選挙中、僕がマイクを握ることもありますから、そのことを意識しながら訴えたいと考えています。

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衆議院と参議院・選挙戦術の差

 議員選挙でもっともきめ細かい選挙は区市町村議会選挙です。これらの場合は、基本的に歩いたぶんだけ確実に票に反映します。当選ラインが2000票なら新人の場合、1万軒は歩くべきです。現職で一定基盤が固まっている場合は、自身の名簿をきちんと固めることになりますから、軒数は少なくなります。

 都道府県議、政令市議の場合は、1万軒では追いつきません。僕の知っている県議は事前にのべつまくなく選挙区内の全戸(おおむね2万軒)を歩かれます。この方は、その時々の政治情勢にかかわりなくつねに上位で当選されてきました。組織の背景がなければ基本はこの形しかありません。もちろんビラの全戸配布(人ではないがお金があるならポスティング業者に委託することもありです)を数回やるとか、駅頭などでの街頭演説を定期的に定位置で半年ぐらい続けておれば、名前を浸透させるという点ではそれなりの効果はあります。が、有権者とどれだけ顔をあわせたかということでは、区市町村議の場合と基本形は変わりません。支援組織の多寡がものを言うという点では違いがあるといえますが、最近は組織票というものはあまりアテにならないことに留意しておくべきでしょう。

 さて、国会の場合はどうか。衆議院は、小選挙区が県議会、区市町村議会と同じ区域で設定されているケースままあります。ただし当選ラインに達するための得票は格段に差がありますから、「歩く」という手法は、事実上全戸やりきるなど不可能ですから、1~2万歩いたからといっても砂漠に水をまくような側面は否めません。一定の組織、知名度等があることに越したことはありませんし、無名の場合だときめ細かに街頭に立つ、ビラをとにかく大量に配布する、可能な限りいわゆる事前ポスターを掲示するなどで、顔と名前をまず知らしめることも重要です。

 ちなみに僕は、衆議院選挙にはこれといった必勝法は存在しないと考えています。それは当然ながら情勢に大きく影響されるからで、セオリーどおりの選挙運動を着実に積み上げていても「風向き」には勝てないからです。しかも向かい風ならば、外に広がらないことがわかっていても、なおさら着実に固めの選挙をするほかなくなってしまうのです。一方、基礎体力に差があっても風向き次第では浮上することもあります。その点では、選挙の手法もさることながら、世論を的確に掴む訴えをどれだけできるかが問われます。が、それすら吹き飛ばすのが「風」ですから、このあたりはいかんともしがたいのです。

 さて、参議院の場合は、「風向き」に左右されるという点では衆議院よりも顕著といえるかもしれません。というのは、衆議院の選挙区は300。一方参議院は47ですから、衆議院の場合地域固有の事情が反映する場合もありますが、参議院では都道府県で一つの選挙区ですから、局地的な問題はあまり関係ないからです。しかも、参議院は、いわゆる注目区、激戦区なども分母が少ない分、衆議院の場合よりも取り扱いが大きくなります。となると、セオリーどおりのことを積み重ねるよりも、大向こう受けを狙った選挙の絵づくりが結構重要なポイントになるのです。参議院は衆議院以上にきめが粗くなる分、目立つパフォーマンスがものをいうのです。選挙のスタイルはもちろん、ポスター、ビラといった宣伝物、政見放送や選挙公報などすべてで、他候補との差別化をはかるためにトコトンこだわったものを作るべきでしょう。

 僕が担当している選挙が結果どうなるかわかりませんが、こだわるべきこと、ものにトコトンこだわりながらやっていきたいと思っています。

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勝敗ラインを示さない?

 なんか、いつも安倍首相の話題で、書いているほうも食傷気味ですが、いまさら不思議がるほうがヘンなほど、マヌケな発言のオンパレードは表彰状モノといって過言ではないでしょうね。

 参議院選挙での勝敗ラインを示さないなんて、負けても居残るための方便だって揶揄されるのが関の山なのになんであんなこと言うんでしょうね。やっぱり不思議です。

 そりゃあ与党の旗色が悪いのは火を見るより明らかだけれど、そんなときは宰相たる者開き直っちゃえばいいのです。「与党で過半数を確保するのが目標だ」ってなんで言わないのか。不思議ではあります。

 民主党の小沢代表は、与野党逆転できなければ政界を引退するって言ってるわけで、それと対比すると、安倍首相は試合をするまえから負けています。

 政治家の端的な言葉が微妙に情勢を変えることはよくありますが、安倍首相の場合、悪い状況を自分でますます悪化させている観がありますね。まあ自身で墓穴を掘るのはご随意にってところでしょうか。他山の石としなければならないエピソードです。

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架空計上じゃない!?

 いまさら安倍内閣がダメなどと紙数を割く必要があるんかいな、と思う今日この頃ですが、自殺した松岡さんの後釜に座った赤城農水大臣の事務所経費問題は、トドメになりそうな雰囲気です。

 届け出られた事務所に実態がないのが明らかなのに、「架空の計上や付け替えとかではまったくない」と、赤城さん。ヘンなお話ですね。「電話代や切手代、事務機器のリース料を積み上げた」ら10年間で9千万になったそうなんですけど、じゃあいったい電話や事務機器はどこにあったんでしょ? 赤城さんとご両親が没交渉なのかどうなのか知りませんが、実家が事務所になってたなんて晴天の霹靂ってかんじの親御さんのコメントは妙に説得力がありますし。

 「事務所というと机が並んで電話があるイメージをされるかもしれないが、いろんな集まりや会合をする場所」って赤城さんは説明してるんですけど、じゃあ、電話や机がないイメージの事務所になんで電話代がかかるんでしょうね? 言ってることが意味不明ってことに気づかないほどうろたえているんだなあと拝察はできますが、要するところ口からでまかせを言ってるってことなんですよね。

 簡単に言えば受領証も領収証もないカネのやりとりがあって、いずれにせよ使うには使っちゃんたんで別の名目を立てたんだけど、当然辻褄があわなくなったってことなんでしょう。架空じゃないとか付け替えじゃないなんて強弁してて大丈夫かなあってちょっぴり心配にもなります。

 いずれにせよ、政治資金規正法があらゆるゴマカシができない仕組みであれば問題はそもそも起こらないのです。どうすればってのは、実に簡単な話であらゆる支出に領収証が要るってことにすればいいのです。難しいことではありません。

 それと、もっと大事なことは、政治に膨大なカネがかかるシステムそれ自体にあります。与党の議員だって、議員をやってることで私財がどんどん増えている人なんてそうそういないでしょう。莫大なカネを集めそして使わなきゃならない、という現実それじたいを変えない限り、根本的な問題解決にはなりません。

 ちなみに選挙はどう倹約したってカネがかかります。いつも思うんですが、選挙なんてのは公営が基本なんだから、それを徹底すべきなんです。要は、公営の範囲で選挙運動の枠組みを設定すべきなのです。人手と費用がかかる仕組みをそのままにして「金のかからない選挙」なんてありえないからです。例えば、ポスター貼りなどは、選管に必要枚数を提出しておけば、選管が責任を持って貼り出すようにすべきなのです。選挙事務所も公的施設をタダで提供すべきです。電話戦術や選挙葉書などは廃止、禁止しても支障ありません。その代わり、政見放送の放映回数を増やす、選挙公報のスペースをもっと大きくし候補者の政見が詳細に記述できるようにするほうが大事なことではないでしょうか。

 ちょっと話がそれましたが・・・・。

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税制論議が沸騰すればいいんですけど

 なにを思ったのか安倍首相。ことここに及んで「消費税を上げないなんてひと言も言ってない」と発言。なにを考えてのことなのかさっぱりわかりませんが、そんなこと考えることじたい安倍首相を買いかぶっているのかもしれませんね。

 すこしまえ税制論議を封印すべきでないと、僕は述べましたが、その点からすればわざわざこの問題を持ち出してきたことは歓迎すべきなのかもしれません。

 このさい、いま現段階における税制問題は、消費税を上げることが第一義なのかそうでないのかをハッキリさせてほしいものです。現段階、すなわち参議院選挙のときには必要がなくて、選挙が終わって秋風が吹くころには消費税率を上げるのが必要なんて、ホント人をバカにしてますから。

 日経は首相発言について、財源論争に引き込もうという判断ではないかと、えらく買かぶっていますが、もしそうなったとしたら、法人税はどうするんだ、とか、事実上富裕層への税制優遇はどうするんだ、といった調子で議論はいくらでも出てきます。消費税だけを税制全体から切り取ってそれに社会保障財源の問題をくっつける手口に、いまさらそうそうだまされるわけもありません。

 消費税率の高低などではなく、税金を納める対象としてもはや安倍内閣は信用されていないという現実を安倍さんもそろそろ甘受すべきでしょうね。

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宮沢元首相死去

 宮沢元首相は、僕が当選した当時、森内閣の大蔵大臣(省庁再編後は財務大臣)をなさっておられましたから、何度か質疑という形での邂逅だけでした。委員会質疑で、僕が、国債発行が野放図過ぎると指摘したのに対し、日本の国債は海外からの信頼されており心配ない、との答弁をいただいたことを記憶しています。

 もっとも、僕も積極財政を基本とした考え方をもっていますから、宮沢氏のスタンスそれ自体は理解できるものでした。ケインズ政策はもはや破綻していると声高に叫ぶ人々のほうが昨今主流のようですが、「景気回復と財政再建の二兎は同時に追えない」との発言はけだし名言ですね。政府財政の再建=国民生活の安定ではないことを、小泉、安倍両内閣が見事に実証したんですから、なおさら噛み締めたいものです。

 各紙それぞれ、評伝や経歴、親交のあった人々のコメントを掲載していますが、宮沢氏が亡くなる当日の出来事に詳しく触れたのは日経でした。それによると、その日も朝からゆっくり新聞に目を通し、昼前医師の往診をうけベッドに入り、お昼過ぎに介助の女性に「少し休ませてもらう。ゆっくり寝るわ」と話しかけたのち、眠ったまま息をひきとったとのことです。僕のみた限りでは最後の言葉に言及したのは日経だけでした。

 うらやましいほどの大往生。ご冥福をお祈りします。

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筋の通らない法人税減税

 まえにも述べましたが、この参議院選挙では税制が争点になることはなさそうです。自民党はそもそも政策で具体的に触れることを意識的に避けていますし、民主党の政策も国民的関心を呼びそうな話題は避け、「給付付き税額控除」の導入なんてのをすえています。

 過去の選挙をひもとけば、税制は鬼門であることは確かです。とりわけ与党にとって、ことここに及んで、またぞろ不利な材料を自ら提供するなんてことはしないでしょう。しかし、我々有権者は、政党レベルで議論がないことをいいことに、政府税調が着々と増税路線の布石を打っていることを注視しておく必要がありそうです。

 例えば、13日の日経で香西泰政府税調会長が取材に応じ、法人税の実効税率に関して「国際水準に合わせていくことが常識」だとして引き下げに意欲を示したという記事がでています。ご丁寧に日経は「法人税下げと間接増税 EU相次ぎ実施」と題した解説記事までつけて、御用新聞よろしく香西会長のコメントをフォローしています。

 「法人税率引き下げと間接税率引き上げはセットでやるのが国際常識」と、前提抜きで常識などと言われちゃうと、勢いに押されて「そうかいな」と納得しそうになっちゃいますが、だいたい「常識」などとたたみかけられたときには、眉に唾をつけるのが「常識」なんです。

 税だけをみると確かに、日本の法人税率は主要国のなかでも高い水準にあることは事実です。しかし、それだけでは木を見て森をみないことになってしまいます。日本の国民負担率が国際水準からみてどうかという事実を捨象するわけにはいかないからです。

 国民負担率とは、国民と企業の税負担+社会保険料負担の国民所得に対する割合のことです。そのうち社会保険料負担を国際比較すると、日本の負担はフランス、ドイツ、スウェーデンの約半分なんですね。しかもそのうち企業の負担率だけをみても、フランスの3分の1、ドイツ、スウェーデンの半分。EU諸国が法人税率を下げているといっても、それに社会保険料負担を足すと、日本よりも負担は大きいのが実態なのです。

 この事実には触れずに、国民負担のうち法人税負担だけを取り出して、高い高いと大合唱しているのが、財界、それに追随しているのが安倍内閣というわけです。

 社会保障の負担はいまのまま低くしろ、法人税も下げろ、なんてあまりにも虫がよすぎます。かかる理不尽な要求がさも「常識」であるかのように流布される現実に、私たちが不感症になっていいはずがありません。 

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悪法成立のための会期延長?

 悪法成立のためにそんなに力まないで欲しいものですが、安倍首相は、「強い意志」で公務員制度改革関連法案の今国会成立を期し、この期に及んで会期延長を言い始めました。

 法案の論点はいくつかありますが、「目玉」とされる一つがいわゆる官僚の天下り規制。が、しかし、中身は看板に偽りありどころか、まるっきり話が逆さまなんですね。要するところ、官民癒着を法律で保障しちゃうってシロモノなのです。

 これまで各省庁が勝手に天下りをあっせんしていたのはよくないので、「官民人材交流センター」ってのに一本化するというのですが、いったいそれでなんで天下りが規制されるのか、まして官民癒着がなくなるのか、さっぱりわかりません。要は、天下り斡旋を一本化するだけのことですもんね。そうすれば官民癒着がなくなるどころかむしろ円滑な癒着が実現することでしょう。だいたい天下りを規制するというのはまさにそれを規制することが必要なわけで、天下りのシステムを変えるだけの法律がなんで規制になるのかなんて、ちょっと考えればわかることです。

 官僚にとっても、企業や政府関係法人にとっても使い勝手のいい制度をこともあろうに天下り規制の名目でこしらえるなど、国家百年の大計を歪めるものにほかなりません。

 この法案を押し通すことが内閣の起死回生と思っているのなら、ずいぶんとおめでたい話ですが、会期延長が現実味を帯びているいま、野党は廃案にむけて結束すべきところですし、場合によっては衆参ダブルも辞さずという強い姿勢で対峙すべきです。

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亀井静香氏の変なコメント

 自民党の参議院議員を務める舛添要一氏は、参院選の比例区で自民党は11~12程度の大敗を喫するかもしれないと述べています。僕もいまのまんまではおそらく自民党は地滑り的に敗北すると予想しています。投票率が上がれば、公明党も比例区で6議席にとどまることもありえるでしょう。

 という状況なら、野党は万々歳のはずなんですが、国民新党の亀井静香氏は、自民党が負けすぎると選挙後の政局でキャスティングボードを握れなくなり、党の存在感を示せないから「逆に我々は震えている」とおっしゃってます。なんというか、このあたりが、固有の政策を持たない、政局の都合でできた政党の「面目躍如」ってところなんでしょうね。確かに「郵政民営化反対」という一応一致する点はあるわけですが、かといってあるべき郵政の姿を示したわけではなくて、とにかく「けしからんから反対」以上ではなかったですし。

 自民党が負けそうなので「震える」ってのも、かつて古巣で派閥を率いた親分にしては、スケールがあまりにも小さく貧すれば鈍するってのを絵に描いたようなお話です。野党の風上にも置けないなんてまっとうに批判するのもお気の毒なぐらいです。

 もっとも、いまのまんまでは、民主党が圧勝しそうですが、「消えた年金記録」問題が、歴代内閣の責任、つまりいま現存する政党のなかでは共産党を除けばみんな責任があるって式の宣伝で、自民党が泥仕合に持ち込めば、それで自民党が勝つわけではないにせよ民主党の対応次第では、有権者は引いてしまい投票率が下がった分、自民党の歩留まりが増え公明党だけが好調という結果もないとはいえません。そうなれば、亀井氏の「震え」も杞憂に終わりまことにもってご同慶の至りというわけですが。

 ただ悲しいのは、結果次第では政権交代もあり得る情勢の下でこの程度のコメントしか出てこないことです。せめて5ヶ条でも、17ヶ条でもいいから政権構想なんかを示して、選挙が終わった暁には正々堂々各党に呼びかけるってぶち上げたほうが、よっぽど存在感が出せたのになと、他所事ながら思ったのでありました。

 もっとも他党の心配をしている場合ではありません。情勢がどうあれ自党が積み上げてきた政策を選挙で正々堂々訴えるのみです。そのためにどれだけ効果的な選挙を展開するかに思考のすべてを集中させるだけです。厳しいときほどブレないことが肝要だと自身に言い聞かせる今日この頃です。 

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税制論議の「封印」

 末期症状の安倍内閣が、この期に及んで税制を持ち出すなんことはしないでしょうが、一方でそれは重要な政策課題の先送りにほかなりません。

 日経の「けいざい解読」は「増税論議「封印」の先は・・・」と題して、「不人気政策を選挙前に封印するのは珍しくない」が、「日本でも重要政策を逃げずに争う機運は生まれないだろうか」と述べています。もっともこの解説は、政府・与党内の議論は簡潔にまとめていますが、では所得税、法人課税、消費税などをどうするのかは課題を呈示するにとどまっており、じゃあどうするのか、という問題提起には至っていません。

 予想以上に増収となったことも、税制論議が盛り上がらない理由ではあるのですが、そもそも経済成長が永遠と続くことはありえないわけですから、税収が増えたとしても、好景気が続いている間に、増税をやっておくべきは当然のことです。

 その場合、好景気の恩恵をもっとも受けているものに対して、負担を求めるのが常道です。税の基本は応能負担ですから。まず、景気対策の名目で実施されている特例措置を廃止することです。ついで金融・証券税制の抜本的な見直し(株売却益や利子などについて累進課税を導入するなど)に手をつけるべきです。

 社会保障についてはその水準、規模について論議を煮詰めていけば当然将来にわたってどの程度の財源が必要かについてもはっきりしてきます。社会保障となるとすぐに消費税とのからみで論じられやすいのですが、そもそも社会保障財源=消費税でなければならない理由はどこにもないのです。この問題は、単に税制の問題に矮小化すべきではなく、政府が国民に果たすべき責任、すなわち福祉の水準がどうあるべきかという、それこそ「国のかたち」の本質にかかわるものとして認識すべきでしょう。僕は、それが合意されないまま安易なそろばん勘定で増税、減税が論じられることを危惧するのです。

 ちなみに財政削減か、税制改革かと二分法で語られることがままあります。それじたいは問題ではありませんが、しかし歳出をどう削減するかは、あくまで政府が国民に果たすべき責任との関連で論じられるべきものだということも付け加えておきます。やりかたによっては歳出削減=善とは限らないことにも注意を払うべきでしょう。

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年金問題

 財源の議論になると与野党ともにあいまいな言い方しかできないテーマは、ふつうなら選挙の争点にはなりにくいのですが、今回は、「消えた年金記録」問題それじたいもさることながら、その対応では迷走を続け、まるで浮遊霊のような安倍内閣の姿を目の当たりにして国民がどんどん引いているって感じですね。

 そりゃあ、カネには汚く仕事はしないでは、誰だって相手にしません。むしろこの期に及んでもなお30%の支持率があることは驚異です。

 改憲と愛国心教育で「美しい国」をつくるはずが、自業自得というべきか。なんとか環境政策を全面に出して争点をそらそうと躍起になってたのに、現職閣僚は自殺するわ、年金問題でつまづくわで、もはや積極的に争点をつくりだすようなパワーは完全に失われてしまいました。

 ただ、僕が心配するのは、安倍内閣がスキャンダルで崩壊するのは目に見えているのはいいとしても、選挙で硬質の政策論争がなされなくなる可能性が高いことです。もちろんそれも安倍内閣の責任ですが、例えば、年金問題一つとってみても、少子高齢社会の進行で、現行制度ではいずれたちゆかなくなることは与野党の共通認識なのに、少なくとも抜本的改革がなければ、給付を減らし負担を増やすしかないという結論になるのに、「消えた年金記録」問題が、本当に議論しなければならないことを結果的に隠蔽してしまうことは、国民にとって今回の問題以上に不幸なことだと思います。

 選挙ですから、与野党逆転を自己目的化することについてはなから否定するわけではありませんが、その先まで説得力をもつ主張がなければ、政権交代はひと夏の幻となってしまうでしょう。

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銃口はどこを向いてるんでしょ

 久間防衛大臣によれば、「イラクに行った自衛隊員の家族のために情報保全隊が情報収集に回っていた」そうなんです。

 確か、陸上自衛隊にある情報保全隊ってのは、情報流出を防止するためにこしらえたもので、情報収集をするってのがそもそもとってもヘンなんですけどね。それが、イラクへの自衛隊派遣に反対する市民運動を丹念に調べていたことが判明。なんでそれが自衛隊員の家族のためになるのかさっぱりわからないのですが、記者会見に臨んだ守屋防衛事務次官によると、「隊員が動揺しないよう、家族に不安が生じないようにという観点から世の中の批判的な動きを収集した」そうで、これまたまったく意味不明なご説明。

 「世の中の批判的な動きを収集」すると、イラクに行った隊員がなぜ安心するのか、待つ身の家族の不安がなぜ解消されるのか、サッパリわからん説明をする防衛省の面々は、顔に銃弾が飛んできても跳ね返すだけの鉄面皮なんだということだけは十分理解できます。その分防具の節約ができますから、ささやかな防衛費圧縮もできますね。

 久間防衛相によれば、収集した情報をまとめた文書は「三週間ほどで破棄する」んだそうですが、素直に聞いていると、隊員や家族の不安解消の観点からは、その効果のほどが偲ばれます。

 はっきり言っちゃえばいいのにって思いますね。「わが国には、国家転覆をたくらむ反政府分子がたくさんいるんで、国家の安寧秩序を保つためにささやかながら情報を収集している。何が悪い」って。

 今回はっきりしたのは、自衛隊が国民を守るために仕事をしているわけじゃないってことです。まあ、ずいぶん前からわかっていることですから、いまさら驚くには値しませんが。

 ときの権力を護持するために、国民の払った血税が、国民を監視するために使われるなんてこと、許されるわけがありません。この点は、自衛隊をどう評価するか、イラク派兵に賛成か、反対かなどという判断を抜きにして、それ以前の問題として糾弾しなければならない性格の問題です。

 だいたい内部情報の漏洩を防ぐために「隊」などこしらえることじたいマヌケな話ですが、それは隠れ蓑だったということです。ときあたかも改憲への動きが加速し、現状では自衛隊が名実共に軍隊となる可能性は高いわけです。軍隊が国民を監視するというのは軍政の常套手段だということも覚えておく必要がありそうです。

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参議院のあるべき姿

 唐突ながら、衆議院議員を経験した者が、参議院のあり方について云々するのは不遜かもしれませんが、いわゆる「良識の府」としていかに参議院があるべきかってことをあえて述べさせていただきたいのです。

 僕は、行政改革よりも、国会改革こそ先だと考えています。理由は簡単です。行政のあり方を抜本的に見直す力量を持つ立法府がなければ、行革など官僚のお手盛りになることは火を見るより明らかだからです。本題からはそれますが、そのためには、まず国会議員のサポートをする専門スタッフを充実させることです。何万人もの役人を相手に政策秘書一人なんてそもそも無理な話だからです。かといって公設秘書の数を増やしてもたかがしれています。それよりも衆参に設置されている法制局と調査室を霞ヶ関と完全に切り離すとともに、国会議員の立法活動をサポートする専門スタッフ集団として人員と機能の充実を図るのがもっとも適切だと考えるのです。この点はまた別の機会に詳しく述べたいとは思いますが・・・。

 話がそれてしまいました。さて、参議院のあり方の話ですが、現状の問題は、つきつめれれば、衆議院で先に審議された法案を参議院で審議しても、それが同質の内容であることにつきます。同質というのはもちろんどちらかが水準が高くどちらかが低いということではありません。僕が言いたいのは、両院とも政党政治の枠組のなかにあるという意味で同質だということです。

 すなわち政党政治の論理での審議が二度行われるところに僕は参議院のあり方を根本的に見直すべき理由があると思うのです。

 衆議院が政党政治ならば、参議院はまったく違う論理を対置させることこそ本来の「良識の府」としてのあるべき姿ではないでしょうか。衆議院は政党政治の枠組みで与野党が対決し、参議院は政党政治そのものに対峙するという構図をつくることで、政治そのものの緊張感を高め、その多元化を図るのです。

 この主張はべつに突飛なものではありません。戦後貴族院が廃止され参議院ができたときは、その理想を体現しようというムードがなかったわけではないからです。緑風会という会派が存在しえたのも、衆議院とは違うんだという参議院の矜持があったからにほかなりません。また、政党政治の枠組みという限界はありますが、参議院の自民党も、1970年代初頭までは、既成派閥に系列化されず参議院独自の秩序を保っていました。(もっともそれが家父長制化しその反発から当時の自民党田中派と社会党が共闘して当時の参議院のドンを引きずりおろすのですが・・・)

 いずれにせよ、参議院改革は既成政党に系列化された現状では困難です。自身で自身の身を削るなど誰しもいやがるからです。しかし、漸進的にでも改革をするためには、参議院の選挙制度を再検討することが必携です。衆議院に先んじて比例代表制を導入したこと自体が参議院の独自性の担保という点では愚行であったと僕は考えますから、まず参議院選挙の比例代表選挙は廃止すべきです。特定の組織をバックにする候補者か著名人しかまともに選挙ができない全国一選挙区(現行の比例区)も併せて廃止すべきでしょう。そして例えば、定数を200とし、全国をいくつかのブロックに分け(現行衆議院の11ブロックでもかまいませんが)大選挙区制のもとで、3年ごとに半数を改選するというのはどうでしょうか。さらに、無所属や現行では政党要件を満たさない政治団体と要件を満たす政党との間に選挙運動における不平等を撤廃することも重要でしょう。

 いずれにせよ、代議制民主主義の多元化、豊富化について、そろそろ真剣に検討する時期ではないかと僕は考えるのです。 

 

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小沢さんて討論下手ですね

 安倍首相が大慌てで、こしらえさせた年金支給漏れの時効を撤廃する特例法案。マトモに審議もせずに数日で成立させちゃうつもりのようです。

 すでに時効を超えたものも遡及するため、表題に掲げた不払い分も一応は担保されるはずではあります。それにこの問題は、歴代内閣の責任が問われるものですから、特例法は本当だと全会一致であっても不思議ではないはずなのです。が、問題が指摘されながら頬かむりを続けたあげく、社会保険庁改革関連法案を委員会で強行採決してから、言うに事欠いて「救済」との名分での法提出ですから、当然納得はできません。国民に対してではなく、与党の選挙を救済するためというのなら一応意味は通りますが。

 加えて昨日の党首討論での安倍首相の話は噴飯モノ。小沢民主党代表から指摘されるや、問題が起きた原因を検証すると述べたわけですが、とするなら、強行採決した社保庁改革関連法案は、少なくとも、「消えた年金」問題について検証しないまま提出したということになります。この点について小沢代表の追及が審議を尽くすべき的な平凡なものにとどまったのは残念でした。審議を尽くすもなにも、審議の前提条件がそろわないような法案を出したことそれじたいを問題にし、国民に暴露するいいチャンスでしたから。

 党首討論ってのは、野党が点数を稼ぐためにあると言っても過言ではありません。まして政策の理解以前に語彙の貧困な安倍首相を追い詰めるなどさほど難しいとも思えないのです。もちろんブレーンが「ああいえばこういう集」なんてアンチョコをこしらえてはいるでしょうが、いくらブレーンが優秀でも役者がダメならお話にならないはずなのです。それを追い詰められない小沢代表ってのも正直不甲斐ないものです。もともと与党出身ゆえに質疑慣れしていないのでしょう。

 自民党内の議論が国会に引っ越したような党首討論は、国会審議をますます形骸化させること必定です。結果、審議の質を落とし、ひいては立法府の存在意義をおとしめてしまうことに、党首討論に臨む野党党首はもっと自覚的であるべきでしょう。

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慙愧にたえない?

 松岡農水大臣の自殺に対して、安倍首相は「残念だ。慙愧にたえない」と繰り返しコメントされました。首相周辺は「こういう結果に至った自らの責任をこの言葉に込めた」と解説しているようです。というのは、人の死に接して「慙愧にたえない」なんてどう考えたっておかしいわけで、それを払拭するために「深い」安倍首相の意図をわざわざ解説せざるを得なかったのでしょう。と、思いますが・・・・。

 首相周辺の解説どおりに解釈すれば「松岡農水大臣が自殺したのは、残念で、任命した私は恥じ入っています」と、安倍首相は、任命権者として反省し恥じ入っているのだということになります。

  ちなみに「慙愧にたえない」って言葉は誤って使われるケースがままあります。例えば、芥川賞作家の柳美里でさえ、自身の小説がプライバシーの侵害だとして法廷に持ち込まれ結局敗訴したときの会見で「慙愧にたえない」と述べ、その誤用を指摘されたことがありました。発言の前後の文脈からすれば、どう考えても「遺憾だ」という趣旨で使用したとしか理解できなかったからです。確か呉智英氏による指摘だったと記憶していますが。

 おそらく首相周辺は、コメントを聞いた瞬間、首相の意味の取り違えに気づいたでしょう。というか、日本語なんですから気づいてあたりまえですが。僕もテレビでこの発言を聞きましたが、首相の発言も前後の文脈で考えると、深い悲しみを表現する意味で「慙愧」と述べたとしか考えられません。

 それならそれでいいじゃないって僕は思うのです。突然のことで、適切に表現ができなかったとでも言えばそれで済んだのです。安倍首相は日本語もまともに操れないのか、って馬鹿にはされるでしょうが、まさかそれを理由に内閣総辞職にも不信任案可決にもなりませんから。 

 ついこの間までさんざん擁護しておきながら、死んだら「反省します。恥じ入ります」では、むしろ死者に鞭打つことになるのではないでしょうか。だって「恥じる」ってのは、恥ずかしく思ったり、面目ないって意味の言葉ですから、むしろ余計な解説を周囲が加えたことで、首相が自身の責任を重さを表現したというより人の死をことさらに矮小化したといえるからです。

 いずれにせよ今回の事件が、安倍内閣の終わりの始まりだということだけは確かだと言えそうです。 

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地域格差問題の陥穽

 安倍首相はぜんぜんその気がないみたいですが、7月の参議院選挙で野党側は格差是正を一大争点とするでしょう。そのことは僕も当然だと思います。

 ただ、都市と地方の格差を取り上げる場合に、注意しておかないと大変な落とし穴に嵌ってしまう危険があることに、とりわけ政府・与党を追及する側は自覚的であるべきです。

 もちろん僕も、県民所得、有効求人倍率などの格差拡大と、それらが低い地域ほど完全失業率が高いといったことをみれば、地域間格差是正は喫緊の課題だと考えています。しかし、問題はその処方箋です。

 税財源の移譲などといった基本的な方策は当然主張すべきなのですが、政治が地域間格差を強調するその手法が極めて古典的だということに注意を払うべきなのです。

 というのは、今も昔も、地方がしんどいのは、なによりも人とカネを集積する主要な産業がないというのが大きな要因だからです。となると、てっとりばやい地方の振興策はなんだといえば、公共事業ってことになってしまうのです。僕は公共事業イコールムダとは考えませんし、住民にプラスになるとりわけ生活インフラ整備にピントを合わせて公共事業を展開する意義はあるとも思います。が、一方で、事業の質ではなく請け負う金額が第一義の地元業者が存在するという現実から目をそむけるわけにはいかないのです。となれば、地域格差問題の解決が地元ゼネコンへの利益誘導に短絡されてしまう危険は常に存在します。

 参議院選挙では1人区の攻防が与野党逆転の鍵を握っていることはいうまでもありません。そこで都市と地方の格差を強調することは改憲を主張するよりよっぽど有効だろうとも思われますし、現実に前者のほうが国民にとっては切実な課題です。しかし先に述べたように格差是正が矮小化されることをつねに意識しながら、その方策については慎重な検討と提起が必要だということも付け加えておきたいのです。 

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安倍首相に憲法を論じる資格はない!?

 連休明けの月曜日、一般紙は休刊なもんで、つい、なんでもいいやって週刊現代を買ったのです。大した記事はないなあとぱらぱらめくると、「安倍晋三に憲法改正を任せてはいけない!」ってのが目に入りました。保坂正康、福田和也両氏の対談なんですが、むろんどちらもいわば保守の方。改憲そのものにはさほどの抵抗はなさそうなのですが、ありていに言えば、安倍晋三づれに憲法なんぞという高尚なものを玩ばれるのは片腹痛いってことのようなのです。

 いまさら、安倍首相の底の浅さなど明々白々ですが、保坂氏(展人さんではありません。念のため)の指摘は、かなり的確です。氏は、安倍首相が「戦後レジームからの脱却」という言い方で、改憲を課題としている点をとらえ、

 「確かに、現行憲法が制度疲労を起こしたり現実と乖離したりしているのは事実です。だからレジームを変えなければならないのは当然」と述べられます。この点は、僕はまったく正反対の見解をもっていますが、大事なのは次に保坂氏が、

 「戦後レジームを論じる場合は、それが戦前レジームと対になっていて歴史的な耐用性をもっていたという事実を踏まえないといけないと思う。戦前のレジームを押さえたうえで、「戦後のレジームにもそれなりに効用はあったけれど、もう賞味期限は過ぎたんだ」という説明をしないと私は納得しませんね」と述べている点です。

 戦前と戦後レジームがいわば合わせ鏡のようにあることは当たっているでしょう。言い換えれば、大日本国帝国憲法と日本国憲法が対になっているということです。少なくとも保坂氏は後者よりも前者のほうが正当性があるなどという稚拙な議論はされません。現行憲法がもつ耐用性を認めつつ、戦前、戦後双方を止揚する論理がないとだめだと説くのです。

 僕がこの点を重視するのは、安倍首相の改憲論の空虚を見事に言い当てているからに他なりません。自らが理想とする日本の未来像を「美しい国」と象徴するのは個人の自由の範疇です。しかし、未来像のデッサンがないまま、まるで国の根幹たる憲法を変えれば万事解決するかのごとき、というか、改憲それじたいが自己目的化されている精神の貧困さは、むしろ改憲を真剣に考える者ほど腹立たしいでしょうね。

 もっとも、保坂氏も「戦後レジームの脱却」などというスローガンの意味合いを真剣に検討される誠実さは買うにしても、そのことじたい安倍首相をかいかぶっているようにも思えますが。だって、それを言っている当の本人さえ「戦後レジーム」ってなんなのかわかっているとは思えないですから。まあ、僕なんぞは安倍晋三なる人物が内閣総理大臣になるあたりに「戦後レジーム」なるものの脆弱さを見出してしまいますけど。

 「安倍が憲法改正や教育問題といったことを政治的争点にするのは、財政や福祉など、根を張った現実問題に対処できないからとしか思えませんね」

 と、保坂氏は締めくくっています。まあ、そんなとこなんでしょうけれど、その程度のことで改憲手続法=国民投票法が成立しちゃうってあたりに、まさに「戦後レジーム」を脱却しなければならない理由があるように僕は思います。

 安倍首相には気に入らない戦後なんでしょうが、こっちに言わせれば、アンタのじいさんたちが十分すぎるほどに「戦後レジーム」をボロボロにしたでしょって言いたいですよね。傷だらけの「戦後レジーム」を超えて、21世紀は「平和レジーム」の時代としたいものです。平和憲法を守ることこそ「戦後レジームからの脱却」を意味するのです。

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国民投票法批判のあり方

 ゴールデンウィークは、テレビも新聞も何らかの形で憲法問題の特集を組んでいます。先日のNHKスペシャルなどは、とりわけ憲法起案の事務方ベースの過程が克明に再現されている点できわめて秀逸でした。

 さて、連休明けには決着をみそうな国民投票法ですが、この期に及んでいまさらというリアクションが返ってきそうですが、反対する側の論理が混乱しているのではないかということをそれこそ今更ながらですが指摘しておきたいのです。

 ちなみに国民投票法と改憲の是非については、次のようにたくさんの考え方が存在し得ます。

  現在審議されている国民投票法案(以下法案)に賛成、改憲にも賛成。

  法案には反対だが、 改憲は賛成。(ちなみにこの場合、法案があまりに国民を縛りすぎだから反対という立場と、規制がゆるいから反対という立場がありえます。)

  法案には賛成だが、改憲には反対。

  法案にも、改憲にも反対。(この場合、法案についてはその内容には賛同できないが法案そのものの必要性は認める立場と、そもそも法案自体が必要ないという立場に分かれます。)

  以上、機械的に考えると、6つの立場が存在することになります。

  ここでは、「法案にも改憲にも反対の立場」について述べておきたいのです。

  要は、国民投票法の中身がよければいいのかという問題です。例えば、憲法で定められている国民投票の過半数を、有権者全体の過半数ならいいのか、有効得票の過半数ならいいのか、とか、最低得票率の定めがないことの是非についてなど、「中身」が良くなれば賛成するのかどうかです。

 少なくとも、僕は、現状において国民投票法は必要ないと考えていますから、中身の問題はそもそも次元が違います。なぜって、中身が問題だから反対しているわけではないからです。まえにも述べましたが、憲法が制定されて60余年、改憲しなければならない必然性があれば速やかに手続法を定める必要がありますが、そんな理由が見当たらないのに、手続法がいるわけありません。

 この点について、憲法上定められているのに、その手続法がないのは立法不作為だという意見は説得力がありますが、僕は、手続法=国民投票法の立法動機に合理性があるかのどちらを優先するかという問題だと考えます。というのは、当座必要のない法律ならば他の重要案件に優先させて制定する必要などないからです。 立法不作為状態によって具体的に不利益を受けている国民が存在するならば話は別ですが、まさか安倍首相も国民投票法がないから精神的苦痛を受けてきたなどとはおっしゃらないでしょう。

 いずれにせよ、改憲に反対でかつ国民投票法にも反対ならば、その法案の中身以前の立法動機においてその根拠がないとの批判こそ基本なのです。

 ですから、法案の中身について仔細に立ち入って論ずること自体、すでに改憲派の術中にはまっているとも言えます。ただし、僕は、だからといって中身の議論を軽視するわけではありません。政治判断として、国民投票法が成立する可能性が極めて高いことはいうまでもないことですから、その後を見越して、法案をせめてよりましに修正すること、法の運用に縛りをかけるために有効な国会答弁を残しておくことはそれとして意味のあることだからです。

 ただ、法案の内容がだめだから法案に反対だ、ではなく、必要がないから成立に反対なのだという点を鮮明にしておきたいのです。 

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ある首長選挙

 後半の統一自治体選挙も終わり、7月の参議院選挙への動きが加速しそうです。

 さて、僕が注目していたのは高知県は東洋町長選挙。高レベル核廃棄物処理施設の誘致を争点に、推進派の前町長と反対派候補の一騎打ちでしたが、結果は反対派の圧勝となりました。

 反対派の候補者は沢山保太郎氏。もとは東洋町に隣接する室戸市の市会議員だった方で、今回反対派住民に担がれ隣町の町長選挙を制したのです。

 その昔、狭山事件の犯人とされ長年獄中から無実を訴え続け仮出獄後のいまも再審を求めて闘っている石川一雄さんに対して、一審死刑の判決が下されたときのことです。当時沢山氏は新左翼の活動家でしたが、判決を下した浦和地裁を占拠するという行動に出たのです。行為への評価はともかく狭山差別裁判糾弾闘争の嚆矢となる出来事であったことは確かです。 学生時代、僕は部落解放研究会に属して細々活動していたのですが、氏が実はわが大学の先輩にあたることとあわせてそのエピソードを知ることとなりました。

 べつにさしたる活動をしていたわけではないのですが、糾弾、奪還といったコトバを発するだけでなにやらチト違うことをやってるんだって高揚感を抱いていた幼いころの僕にとって氏の実力行使はまさに羨望のまなざしでみる歴史的事実だったのです。

 という、ほとんど個人的な感傷以上なにものでもない理由で今回の東洋町長選挙にひきつけられてしまったのでした。テレビで見るかぎり眼光の鋭さに昔が偲ばれるものの白髪のおじさんって感じでしたが、今回の選挙はさまざまな不条理と戦い続けた一つの到達点なのかもしれません。抽象的な改革やらって話をする人は多いけれど、具体的な不条理をただす実践のほうが断然意味がありますし、カッコいいですよね。

 さほどカッコよくなくても、世の中のうちそとにある不条理をこつこつただし続けたいものです。

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政治活動における格差

 政治に対する関心の度合でいえば、確かに中高年層に比べて若年層のほうが薄いことは確かでしょう。問題はその理由です。おそらくいくつか挙げることができるでしょうが、その一つに政治に直接関わる機会が少ないということも背景にあるのではないでしょうか。

 ここでいう直接とは投票する機会ではなく、例えば選挙に関わるとか、議員となんらかの付き合いがあるとかいった類です。最近は議員インターンシップが盛んですから、けっこう学生も議員活動に直接触れる機会はあるでしょうが、社会経験の一つという範疇から超える場合はそんなに数多くはないようです。というのは、学生自身が私淑する議員とめぐり合えるとは限りませんし、そうしたキャリアを積むことが就職のメリットにもなるという現実的な判断で政治の世界にも関わっておくという問題意識の学生も多いからです。

 ただ僕は、年齢層が若くなるにつれて、議員との直接の関係が希薄になることそれ自体はむしろ歓迎すべきだと思うのです。というのは、議員とのつながりというのは、表面上はなんとでも言えますが、実際にはなんらかのしがらみがあるか、具体的な便宜供与を期待しているケースがほとんどだからです。現実に議員が評価されるのはその政策云々というよりも、例えば、就職の世話、入院の世話など個々の陳情をどれだけこなしているかに比重があることははっきりしています。

 そのことと重なり合った政治活動に縁が薄いという点では、一般的に関心が低いとされる若年層に、政治文化を変革する担い手としての期待を持つのはむしろ自然なことではないでしょうか。

 既存の政治に若年層が関心を持たないことを嘆く必要はないのです。むしろそこに新しい政治像を描く可能性こそ見い出すべきなのです。

 ただ、物理的に政治活動に身をおくことは現役世代、若年層にとってリスクをともなうものです。年金を受け取っている世代でも政治活動ができる人は、そこそこの年金を貰い時間の余裕がある層に限られます。まして自身で働き食っていかなければならない世代に、少なくとも利潤を生み出さない政治活動に挺身するなど、よほどでないと困難なのです。

 政治なんて結局一部の人たちのもので、投票に行くだけではなんにも変わらない、という発想は、決して健康的とはいえないにせよ、現実の壁を言い当てていることは確かです。いくら議会制民主主義が制度としてあっても、一定の年齢に達すれば選挙権、被選挙権が付与されるにせよ、自身が主体的に政治に参画することイコールあらかじめ用意されたメニュー(政党・候補者)を選ぶという行為でしか担保されないなんて、むしろ社会に対してさまざまな意見を持つ者ほど萎えてしまうのではないでしょうか?

 誰しもが物言いができる、その条件をいかに規制緩和するかこそ政治改革の基本ではないでしょうか。誰しもが同じ条件で政治に参画できる条件こそいま求められるのではないでしょうか。しかし、そうした問題に政党や市民派と呼ばれる既存の政治勢力、議員があまり触れないのは残念ですね。

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中国の外交に思う

 「氷を溶かす旅」と表した中国温家宝首相の来日。やはり中国はしたたかだとの印象が強く残るものでした。

 温首相の国会演説が実に格調高いものであったことは、誰しも評価するところでしょう。微妙な政治問題を文章の表現力で見事に包み込み、中国がいかに外交において他国の立場を慮っているか、さまざまな歴史的経緯にも寛大であるかと印象づけたこと、そして覇権主義的な中華思想が少なくとも字面には微塵もないことは、かなりポイントが高いものでした。

 日本の対米外交は「同盟」、対中は「互恵」というやや分かりにくい言葉の使い分けですが、端的に言えば、安保条約を結んでいるかどうかがということでしょう。中国側がしたたかなのは、実態はともかく、また日本側がどう認識しているにせよ「互恵」関係を「日米同盟」と同水準のものと対外的に印象付けたことです。

 これに比して日本のアジア外交は中国に見劣りすると言わざるを得ません。ただ、日本の場合、あくまでもアメリカのアジア戦略がまずあり、それを前提にして日本の役割がどうかということでしかアジア外交が展開できない、もしくはしてこなかったということにほかなりませんが。ただ、今後アメリカがそうした役割を日本に期待し続けるのかどうかは微妙です。というのは、米中関係においてアメリカが切るカードとして日本が必要な場面はほとんどないと想定されるからです。

 そのあたりを十分見極めて友好ムード一色に演出したのが、中国だったといえるでしょう。

 脱亜入欧をキーワードにした日本の近代化からすでに百数十年、まして「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す」などという緊張感ある外交は歴史教科書の記述のなかにしかありません。外交下手が身上の日本にとって「戦略的互恵関係」の「戦略的」が中国ペースのものになれば、中国の経済発展のために「無償の愛」を提供することにもなります。あくまで「互恵」であるならば、日本としての「戦略」を構築すべきですし、そのための障害は取り払うべきです。他国との緊張関係は決して軍事面だけではないのです。むしろ平和秩序の構築の過程でこそ、外交戦略を見極めるとともに国益について考えるべきでしょう。

 入亜のための日本の戦略が問われています。 

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国民投票法案成立へ

 これを書いている段階ではまだですが、国民投票法の採決はもうすぐのようです。参議院でもひと悶着はあるでしょうが、今国会での法案成立はほぼ確実です。

 むろん僕は、法案には反対です。憲法を代える理由が見当たらない以上、改正の手続きを定める法律が必要となる理由、すなわち立法動機が存在しないからです。

 もっとも自民党は改憲草案を世に問うていますし、改憲を党是とする自民党が与党にある以上、改憲それじたい有権者に了解されているという拡大解釈の成立します。安倍首相が改憲を最大のテーマに掲げているのも、もちろん本人の強い信念もあるでしょうが、自民党員としてはむしろ当然のことでもあるのです。

 しかし、彼らの決定的な説明不足は、例えば9条について、国際貢献などという美辞麗句を振りまきながらも、条文を代える決定的な理由は、要は主観を越えるものではありませんでした。憲法制定時に比べて、今の日本を取り巻く国際環境が、自国の防衛という点で悪化していること、現行憲法では国民の生命、財産を保証できないことを明確に示すことができて初めて9条改憲の根拠が浮かび上がってくるのです。しかし肝心要のところで議論が深まったとは到底いえません。

 もう一つの問題、というよりも僕はこの点こそ最大の問題だと考えているのですが、自民党の改憲草案は、憲法が権力に対する制限規範であるという基本中の基本をひっくりかえそうとしていることです。しかもそれほどの大きな転換を、権利ばかり強調して義務を忘れがちになってはいけない式の論理で押し通そうとするのですから、あいた口がふさがりません。憲法という規範によって時の権力が制限を受けることが、国民にとって不利益をもたらしていると根拠を示すのが筋でしょう。

 要するところ、代える理由については実にお粗末で、その意味ではこの間の国会での憲法論議それじたいが憲法に対する背信行為といっても過言ではないでしょう。

 憲法論議が神学論争なってはいけないといいながら、およそ本質とはかけ離れた議論にむしろ積極的に関わっていった民主党の責任も重大です。改憲が必要か必要でないか以前にそんな議論をいまやっている場合ではないことを共通認識にすべきだったのですから。法案を微に入り細に入り検討し修正を加えるのは、一つの法律案に対する向き合い方としては褒められるべきでしょうが、政治の世界に身をおく以上、つねに物事を政治的文脈の中でとらえる姿勢は必要です。民主党には護憲、改憲両派が混在していることもあるのでしょうが、法案の動きだけでなく与党ペースの国会審議のなかで、国民生活という基本課題がスッポリ抜け落ちた審議の流れを作ってしまったという点では、民主党は共同正犯といえるかもしれません。

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政府は目的意識的に格差拡大を進行させている

 僕がこの主張をするのは、べつに初めてのことではありませんが、要するところ、社会格差の拡大とその固定化は、政府の政策によって人為的になされていることが本質的な問題なのです。

 まず背景となる事実を押さえておきましょう。よく今回の景気がいざなぎ景気を超えたなどとアナウンスされていますが、いざなぎ当時のGDPの伸び率が給与に反映していたのに対し、今回はそういう事実はまったく認められないのです。どころか給与面では格差の拡大が明白なのです。資本金1000万未満の企業に勤めるサラリーマンの所得は約10年で、平均260万から220万まで下がっています。一方で、資本金10億以上の役員報酬は僕の知る範囲では、1400万から2800万に上昇、ほぼ倍増です。ちなみに勤労者の多数は中小企業に勤務していますから、給与所得面では貧富の差は明確に拡大しているのです。

 では、いわゆる国民の負担がどう変わっているのか、をこれもデータでみると、明らかに中低所得者層を直撃しています。定率減税廃止がサラリーマンの負担増に直結しているのは言うまでもありませんし、老年者控除などの廃止は高齢者をの暮らしに大打撃を与えています。定率減税廃止だけでも3兆3000億の負担増、社会保障制度改悪の分も加えれば13兆あまりの国民負担増なのです。

 一方、財界の要求はといえば、非正規雇用とホワイトカラーエグゼンプションで人件費をスリム化し、それにとどまらず法人税は減税しろというのですから、理不尽にもほどがあります。ちなみに消費税増税をしなければ年金福祉財源が賄えないなどとまことしやかに流布されていますが、法人税の減収分を消費税増税で補おうという腹積もりですから、消費税率を上げた分が福祉にあてられるわけではないのです。

 まさに十字砲火ともいうべき国民生活破壊を、財界の意向に忠実に実行しようとしているのが、安倍内閣なのです。それは決して国民の生活安定を考えているのだけれどやっていることが間違っているという類では断じてありません。もっといえば、社会格差を拡大し固定することが彼らの目的だというべきなのです。

 ですから、彼らに格差拡大の問題を追及しても、内心は「そのつもりなんだから」ってことになるでしょう。先日はそれを実に正直に小泉前首相がおっしゃってましたし。為政者は、格差拡大を事実として示されればされるほど、「わが政策は成功している」とほくそえんでいることに気づくべきなのです。

 その点からすれば、社会格差の是正を争点にするなどという生ぬるいことではなく、格差を拡大し一部の富める層が社会を支配する政治を選ぶの否かこそを前面に打ち出して政治決戦をたたかうべきでしょう。

 今年のうちに、いまの政府与党を野に下らせない限り、政治が主権者たる国民と乖離するなどという生易しいものではなく、政治は国民を支配するツールと化してしまうのです。まさに危機を国民にきちんと伝えることができ、その共感が得られる政治勢力が存在するかどうか、既存の野党がそのことに敏感であるかどうかが問われます。もちろん僕も敏感に反応したいと思います。

 

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忠誠心???

 ほんまアホみたいな話なのが、中川自民党幹事長のコメント。安倍首相は若いけれどかりそめにもナイカクソーリダイジンなのだから、「閣僚や官僚は首相への絶対的な忠誠と自己犠牲の精神が求められている」ですと・・・。

 いつから安倍ソーリは専制君主になったんですかねえ。自己犠牲の精神は国民に対して求められているんだなどという考えは、ひょっとして間違っているのかしら、と思わず自問自答したワタクシでありました。おそらく間違っているんでしょうね。というか、曲がりなりにも、一応でも、不十分であっても日本が民主主義を旨とする国家なんだって認識が誤っているんだろうと、僕なりに結論を出した次第。

 しっかし、わがニッポン国の専制君主の情けないこと。さきの中川コメントには後段があって「首相が入室しても起立できない、私語を慎めない政治家は内閣にふさわしくない」からもっと忠誠心を持てってことらしいのです。官邸では小学低学年の世界が満開ってとこみたいですね。

 ソーリが部屋に入ってきても、鼻くそをほじくりながら足を組んで踏ん反り返ってる官僚や、閣議でソーリが発言してもおかまいなしにゴルフ談義に興じているダイジンたちがいるんでしょうか? 確かに風紀が乱れているのなら、生活指導の先生の出番ではありますが。

 官邸の風景のアホらしさは想像にかたくありませんが、それに敢然と「苦言」を呈する存在はさぞやソーリには心強いことでしょう。まったくもってご同慶の至りであります。

 まあ、人間エラくなると、一般常識では恥ずかしいことを恥ずかしいとは思わなくなるんでしょうが、彼らを養っているのはわれわれ納税者なんだということだけは、彼らがすっかり忘れていても、われわれはしっかり心に刻んでおくべきですね。

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租税原則の見直し

 政府税調の香西会長は、記者会見で「租税原則を見直すことが必要になっている」と述べ、理念そのものを再検討することを示唆したそうです。

 いうまでもなく「公平・中立・簡素」が税制の理念です。が、それを「経済成長重視型」とやらに転換するのが眼目のようです。

 ここで「公平」とされる理念は、税負担の能力に応じて課税するという応能負担の原則をうたったものです。どうやらそれを「公正」と言い換えるつもりらしいのですが、その結果は応能ではなく応益に転換することを意味します。もっと言えば、「努力」してお金をもうけた人は少々の負担、「そうでない」人は、社会に貢献していないから税で貢献してもらうってことになるのです。簡単に言うと、お金持ちは税負担がより軽く、ビンボー人ほど重いってことです。これって、税の持つ所得再分配機能を完全に取っ払うということを意味します。

 「中立」ってのは、例えば、産業や業種の間で中立であるべきという原則で、それからすると特別措置、優遇措置ってのはそもそも見直すべきなのです。が、これを取っ払って「活力」を原則にするとうのです。ありていに言えば、現在でもその中立性を侵している税制を既成事実化するというわけです。

 こうした方向は、つねづね不公平税制として批判されるいまのあり方を、基本原則をj変えてしまうことで正当化することを意味するのです。原則にそった批判を受けるとしんどいから、いっそ原則を変えちゃえってことなのです。

 そして原則さえ変えちゃえば、財界・大企業にとって都合よくそのさじ加減で、好きなように税制を変えることができるのです。冒頭の「成長重視」ってのは言い換えれば儲かっているところからの税金はまけてやるってことなのです。

 要するところ「税制の原則はビンボー人から搾り取ることだ」ってわけです。

 よれよれの安倍内閣を財界あげてさせている理由の一つがこれなのです。

 まがりなりにも選挙という民主主義の道具がある間に、邪悪なもくろみは潰さなければなりませんね。

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柳沢大臣の発言

 「女性は子どもを産む機械」発言で袋叩きにあっても、学習効果がないのか懲りないのか、今度は「子どもが2人以上いたら健全」なんだそうです。

 柳沢厚生労働大臣の発言をめぐる批判はすでに出尽くしているような感がありますが、僕なりにおさらいしておきます。

 一連の発言は端的に言えば「差別発言」です。人を機械に見立てたことと女性の役割を子どもを産むことに限定したという二つの要素からみて、女性の人権を明らかに侵害したものだからです。差別発言はそれを発した者が主観として差別意識を持っていたか否かではなく、その発言の差別性が問題にされることはいうまでもありません。ですから、柳沢さんが「悪気はなかった」式に謝っても、なんの意味もないのです。まずこのことが第一。

 しかし、差別を糾すというのは、差別した側の人間を貶めたり、その地位を脅かすための道具では決してありません。むしろ自身の姿勢を見つめ直していただき、今後前向きに人権問題と向き合う契機にしていただいてこそ意味があるのです。その点から言えば、柳沢さんが問題発言をしたことイコール大臣罷免ということにはなりません。仮に柳沢さんが自ら大臣の職を辞したとしても実のところ何ひとつ問題は解決されません。これが第二。

 今回の場合も、もちろん発言そのものも批判の対象になりますし、政治家個人として柳沢さんが指弾されるべきは当然です。ですから批判を受けて以降の柳沢さんの態度が問われるのです。例えば、「総理のご厚意にむくいるため」にその職を全うしたいなどという発言は、自身が何ゆえ指弾されているかを理解していないか、批判それ自体を黙殺するに等しいものです。もし、その反省の上に立って職務を続けたいというのなら、少子化対策のこれまでの施策を洗い出し総括し、せめて新規施策の一つでも提案したいとでもおっしゃるべきでしょう。といったこともないまま、ただ大臣職に居座り続けるのは厚生労働大臣の器にあらずというべきです。むしろ再開された予算審議でこそ野党は強く罷免もしくは辞職を要求すべきなのです。これが第三です。

 そして四つ目。今回の最大の問題は、柳沢さんの発言を「問題だ」と言いつつ、安倍首相がかばい続けている点です。安倍首相には「発言は問題だが、平身低頭すればなんとかなる」という貧相な発想があるのでしょうけれど、かばった瞬間、柳沢さんの認識を内閣として共有することになるってことになぜ気づかないのでしょうか。もっとも気づいているのにあの調子なら、安倍内閣の人権感覚がますます問われますが。

 要するところ、「機械」であるかないかを言葉で表現することが言い悪いの問題ではなく、安倍内閣は少なくとも少子化対策において、もっというならその政治姿勢すべてにおいて、人を「機械」と見立てていることを明白にしたのが今回の一件の本質なのです。

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また見送り。人権擁護法案

 もともと政府が準備した人権擁護法案は、中身に問題が大ありのシロモノでしたから、それよりも水準の低いものなどわざわざ出す必要がないといえばそうなのですが、この種の課題へのまなざしが安倍内閣の基本性格を象徴しているという点は一応指摘しておくべきでしょうね。加えて、安倍さんは「人権侵害の被害救済の法律」に対して、一貫して反対の旗頭として振舞ってきたことも事実としてとどめおいておきたいものです。

 最初にこの法案が国会提出されたのは5年前のことですが、当時から、人権侵害の定義があいまいだとか人権擁護委員に国籍条項がないのはけしからん、といった批判が自民党からなされ、いつのまにやら提出すらできなくなってしまったのです。

 人権侵害を厳密に定義しろって、言うのは簡単ですがいったいじゃあ法律にどう書けって言うんでしょうか? 確かに人権は普遍的価値です。が、その侵害のありようは千差万別で、個々のケースごとに判断せざるを得ない領域が存在するのです。あらかじめ、これとこれが人権侵害というものです、などと決めておくことは困難なのです。ほとんど因縁に近い反対論をぶつ方々は、そもそもの立法の趣旨をご理解なさっていないのです。賛成の側の人もそういう意識の方がひょっとしていらっしゃるかもしれませんが、この法律の目的の第一は公権力による人権侵害の救済なのです。もちろん民間人同士のそれが射程にないわけではありませんが、どうも第一の点がスッポリ抜け落ちた議論が多すぎます。

 まあ、その点からすれば、法務省が法案を用意するのがそもそも筋違いなのですから、政治的背景はどうあれ、出さないことそれ自体は当然のことと受け止めるべきでしょう。

 しかし、この種課題に関心がないというか、理解がないというか、おそらく人権という言葉からほとんどなにもイメージできない宰相が、少々奇麗事をおっしゃっても眉が唾だらけになるのがオチでしょうか。 

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造反組の復党

 もはや旧聞に属する話ですが、郵政造反組の復党ってのは、「古きよき自民党文化」の復活劇ともいえるでしょう。

 っていうか、この問題で「自民党はいいかげんだ」式批判はほとんど意味がありません。なぜなら、いいかげんさこそ自民党の力の源泉だからです。自民党に対して「いいかげんだ」と批判することは、暴力団に対して「オマエらヤクザだ」と言っているに等しいのです。

 問題は、その「いいかげんさ」を国民が受容してきたことです。とりわけ最近は自民党内部で政策論争が自己完結する場面が増えてきています。野党がだらしないという批判は野党の一員として真摯に受け止めなければなりませんが、いまさら憲法を変えなくとも、教育基本法を変えなくとも、私たち国民が自らの権利ということにずいぶんと不感症になってはいまいか、振り返ってみる必要もありそうです。

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