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2008年4月

福田首相の奇妙な余裕

 衆議院の再可決で税制関連法が成立、明日から暫定税率が復活するのは周知のとおり。

 為政者は国民世論に忠実であるべきことなどいまさら強調するまでもないことですから、彼我の状況を冷静に判断すれば、再可決はすべきではなかったはずなのですが・・・。

 ですが、僕には、福田首相のコメントを聞いていると、なにやら奇妙な余裕すら感じられるのです。とくに根拠があるというわけでもありません。政治家にありがちな脂っこさがないという僕の福田さんへの印象がそう感じさせるだけなのかもしれません。

 もっとも、野党側にすれば参議院で問責決議をあげ、国会審議をストップさせるという手段しかないのですから、福田さんは「どうぞご随意に」という構えなのかもしれません。しかも皮肉なことに衆議院山口二区補選での野党の勝利が、ともかく解散を回避するという一点で与党内がまとまる結果を生んでいます。

 不人気の福田内閣で解散などすれば与党にとっては自殺行為ですし、仮に総理の首をすげ替えるにしても、虎視眈々とポスト福田を狙っている方々も選挙管理内閣ではご免こうむりたいということになるでしょう。

 与党の選択肢は、支持率が下がろうが内閣を支える以外にないという事態にあることを福田さんはよく知っているがために、淡々としていられるのかもしれません。

 ばかばかしいお話ではありますが・・・。

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同意人事を矮小化するな

 総裁不在がやっと解消されるのはそれじたい歓迎すべきですが、あきれ果てたのが同意人事をめぐる民主党の対応。

 当初は武藤副総裁の昇格でも了としていた小沢代表が、何を思ったのか財務省出身者はすべからく天下りゆえダメと言い出すや、党内反小沢の面々は、財務次官だった武藤氏には財金分離の原則を理由に反対していたのに、財務官だった渡辺氏の副総裁就任は「好印象だった」から容認すると言うんですから、空いた口が塞がりません。

 日銀人事を政争の、それも党内の覇権争いの具にするのですから呆れてしまいます。いくら真剣に検討したんだと強弁しても、各々の主張に一貫性がなく矛盾しているんですから、お話になりません。

 政策論議を政局論で磨り潰してしまう姿勢では国民の信頼を得られないことにそろそろ気づくべきでしょう。早期解散に持ち込むために政府与党に揺さぶりをかけるのは、野党の常套手段ではありますが、本当に民主党が政権を獲るつもりなら、政策の優位性を満天下に示して揺さぶるべきです。その姿勢がない限り、そもそも国民は早期解散を望まないのではないでしょうか。

 福田内閣がダメだからではなく、野党がより優れているという世論の支持がない限り政権交代など儚い幻想に終ってしまいます。

 もっともこのままでは福田内閣延命にもっとも貢献しているのは民主党ってことになるでしょう。 

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中選挙区の遺産

 政治学者の佐々木毅氏は、日経のインタビュー記事(4月7日付、「政治の不全を問う・1」)で、「政党自身が所属議員を含めてマネジメントが全然できていない」「政策などの内容を詰めてマネジメントする能力は未熟」と指摘しています。

 おそらく、当面する政策課題に党内の意思統一がままならない与野党の状況にいらだちを感じておられるのでしょう。21世紀臨調の主要メンバーとして「提言」してきたのに、政党や政治家は「なにをしているのだ」というところでしょうか。

 僕が興味深いのは、この現状は二大政党制をめざした政治改革の失敗だという批判について、

 「私たちはふさわしい制度をいくつか作り上げたという自負はある。政党組織がうまく動かないのは、究極的に言えば、自分党的な体質が残っているからだ。個人後援会を含めて中選挙区時代に培われた体質が、政党の組織化にとって最大の障害物になっている」

 と述べられている点です。

 ちなみにこの指摘は、全面的に当たっていると思います。「自分党的体質」が政党政治を著しく歪めてきたことは事実だからです。例えば自民党の場合政党組織というのが地域に根を張っているわけではなく、実態は個人後援会の下部組織のような場合が多々見られます。自民党の場合極端でしょうが、大なり小なり党の看板ではない個人ブランドを確立している政治家が評価される風潮が一般的です。民主党の一部議員にはあえて後援会を作らず、政策とはさほど関わりのない親睦的活動をやらない人もいますが、ごく少数に過ぎません。

 さて政党政治が機能しない最大の障害物たる「自分党的体質」がなぜ残るのか。答えは簡単です。それを取り除かれたら居場所を失う政治家が少なくないからです。政策能力や見識とは違う次元で政治をやってきた者にとって、佐々木氏が指摘するような経営管理能力を持った政党組織が動き始めれば、自身がお払い箱になることなど火を見るより明らかです。ですから彼らはなんとかして家父長制的体質を守ろうとして、新しい芽を摘み取ることに精を出します。身を守ることを第一義とする者にとって、自らを乗り越えていく存在それ自体許されないからです。

 ちなみに、佐々木氏は中選挙区時代の体質が残存しているかのようにとらえられていますが、実態はこうした悪しき体質は小選挙区制になって強化されたと見るべきでしょう。

 小選挙区制導入には金のかかる選挙を是正していくという目的もあったはずでしたが、結果はまったく逆でした。これまで以上に金がかかることになり、さらに既成政党以外が参入しずらい制度設計にしてしまったがゆえに、むしろ「政治の不全」はいびつな選挙制度が温床になっている側面も指摘しなければなりません。

 中選挙区時代は一つの「自分党的体質」さえあれば、なんとか当選できたのに、小選挙区になるといくつもの「自分党的体質」と折り合いを良くしなければ当選がおぼつかないわけですから、政策や政治信条ではなく歪んだ義理人情が優先されることになるわけです。

 選挙区が中か小かなど実はなんら本質的ではありません。しがらみから脱することができない制度設計である限りどちらにせよなにも変わらないのです。根本は金と人手がかかる仕組みにあります。「金のかからない」ではなく「金をかけられない」制度にすればそれが、中でも小でも、問題は解決するでしょう。

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保守の多様化

 先日も話題にした映画「靖国」上映をめぐる騒動。ひと昔まえなら、保革の論客が口角泡を飛ばすところですが、映画上映に事実上の圧力となったとされる動きをする保守政治家もいれば、警鐘を鳴らす保守政治家もいるため、いわゆる革新に属する政治家が登場しなくても、あらかたの論点が出尽くしている感があります。

 かつては、保守といえば、改憲、日米同盟を柱とした外交政策、中国への強い不信と警戒感などが共通するキーワードでしたが、ここにきて保守勢力のなかで、発想の多様化が進行しているように見受けられます。

 というか、故宮沢元首相に代表される穏健なリベラル派は、もっとさかのぼれば石橋湛山、三木武夫といった人々以来脈々と流れてきたものですが、革新陣営が一定の勢力をもっていた時代は、左右から中途半端な印象を与えていました。右からは弱腰だと、左からは所詮ブルジョア民主主義に過ぎないといった風に論難されることもしばしばでした。

 しかし、革新勢力が総体として衰退するなかで、政治全体が保守化していると評価するのは簡単ですが、むしろ本来革新の側が専売特許のように訴えていたことを、保守政治家が主張することで政治のバランスが保たれていることを注視すべきではないでしょうか。少なくとも所詮彼らは保守だからと断じるのは簡単です。しかしこれまで革新陣営に属していた者はなおさらこの状況を看過すべきではないと思うのです。

 資本主義か社会主義かという二者択一の時代が終わりを告げてすでに長い年月が経っています。社会主義と対置させて資本主義の優位性を説明できなくなったため、その質をめぐって問い直す必要が生じ、結果、保守の側から多様な発想が生まれることになったのでしょう。

 一方、日本における共産主義(科学的社会主義)、社会主義(社会民主主義)が、冷戦崩壊以降社会変革の構想について深化させることができたかどうかも問われなければなりません。いま僕に答えは用意できませんが、少なくとも国民から受け入れられたかどうかという点では、保守に比べて劣勢は否めません。

 おそらくいまは、保守、革新といった枠組みとは別の政治的枠組みへの転換に向かう過渡期だと考えられます。その意味では混沌とした状況が当面続くでしょう。では新しい時代を切り開くのは誰か。それは保守でも革新でもなく、古い秩序を乗り越えようとする者のみではないでしょうか。

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福田首相に再議決はできない

 僕が気遣う筋合いでもないのですが、もし福田首相に政権維持の意欲があるならば、一度失効した暫定税率を復活させないことです。

 もちろん3分の2の衆議院再議決は可能です。ただし直近の民意は昨年の参院選の結果ですから、それ以前の結果をたてに再議決を行うことには禁欲的であるべきです。

 また、この間の国会の混乱について世論は与野党双方に責任ありと判断していますし、再議決をしなかった場合、その予算を見込んでいる自治体からの批判はあるでしょうが、世論はむしろ歓迎するでしょう。

 ねじれ国会では、一定野党の要求を呑むことが政権を維持するコツでもあります。まして世論の動向がはっきりしている場合は無理押しをしないことです。

 負けるが勝ちという言葉もありますが、世論にある程度忠実に政権運営をしていれば、政権交代がなくても構わないという空気も生まれてきます。民主党にしてみれば、政府与党が野党の要求を突っぱね続けることのほうが都合がいいわけですから、少々弱腰に映っても、野党の要求をも取り込んでしまうことのほうが、むしろ与党側には有利に作用します。

 内閣支持率が危険水域に達しているのですから、政権を投げ出したくないのであれば、支持を回復させるための知恵を働かせるべきなのです。野党側が「その点は評価せざるを得ない」という調子のコメントを出さざるを得ない提起を続ければ、世論の動向も変化するでしょう。

 いずれにせよ、いまなにが国民にとってプラスかを見極めてもらいたいものです。

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「靖国」騒動

 例えば会議の席で、力を持っている人物がどう考えても理屈の通らない発言をしても、それに反論すると後が恐いので口をつぐんでしまう場面は結構ありますよね。

 KYってのも、みんなで野球観戦しているのに唐突にサッカーの話題を持ち出せばそうでしょうが、少数派の問題提起すら空気が読めないなどと言われれば身もフタもありません。

 まわりくどいかもしれませんが、映画「靖国」の上映を中止する映画館が続出する事態は、わが国トップの首相以下、上映中止に賛意を表する人などほとんどいないけれど、要は恐いという判断で上映中止を決める映画館が続出しているのです。

 映画館の前に右翼の街宣車がやってきて大音量で脅せば、確かに恐いでしょう。それに近所迷惑ですし。しかも上映すると、右翼がさらに大挙して押しかけてきて言うに事欠いて「国賊」呼ばわりされたんじゃたまったものではありません。

 こんな行為を誰も立派だとは思いません。しかしほとんどの人は「そんなことやめなさい」などとたしなめることはしないでしょう。なぜって恐いし、できることなら面倒なことに関わりあいたくないからです。

 言論の自由だの民主主義だのといっても、本来それを謳歌すべき国民が遠慮がちならば、せっかくの権利を行使していないということになってしまいます。

 もっとも、誰が聞いてもくだらない社長の発言をたしなめることのできない社員が少なくない現状では、おっかない右翼に脅されたら縮みあがる人が多数なのは無理ないのかもしれません。

 今回僕はまず、日本における民主主義の未成熟を目の当たりにさせられたような気にさせられました。

 さて、この一件は、日本芸術文化振興会という文化庁管轄の独立行政法人が助成金を出していたたため、「おかしいのではないか」と一部の国会議員が試写会を要求したことが端緒のようです。本音は「反日映画だから気に入らない」でも、建前は「映画の中身ではなく助成金を出すのが問題だ」との趣旨なのでしょう。

 僕は、助成金を貰ってもお上に遠慮せず映画制作ができるなら素晴らしいことだと思うのですが、これを機会に「助成金に厳格な基準を設けよ」などといった声が高まるのかもしれません。

 そもそも芸術はその芸術性をもって評価すべきであって、仮にそのなかに特定の政治思想が色濃く反映されていたとしても、政治とは次元を異にする世界だというのはあたりまえのことなのです。  

 皮肉な話ですが、いわゆる保守派の偏狭なナショナリズムが頭をもたげているようにも見えますが、偏狭などというのはひょっとしたら買い被りで、むしろ貧しいナショナリズムしか育っていないことを憂慮すべきなのかもしれません。 

  

 

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政界再編の胎動

 加藤紘一氏の「ビビンバの会」など、きなくささを漂わせつつも政界再編をにらんだ動きが始まっているようです。

 この種の動きは、政治家とりわけ現職国会議員が所属政党を離党する決意をしない限り成就しないものです。

 それだけに、橋本大二郎前高知県知事の衆院選立候補表明は、自民、民主の予定候補者のいる選挙区にあえて参入するものだけにかなりインパクトがあります。

 無所属で立候補するは言いつつも、「政界再編の流れの中で中心的役割を果たしたい」と述べたうえで、「同志が集まれば新党の形を作るのもあり得る」とされており、いわば再編を加速させるためのボールを投げたとも言えそうです。

 地方分権や福祉、環境などの政策を掲げ、「既存政党との違いを示して、有権者の理解を得たい」と強調されてもいます。

 最近は語られることも少なくなりましたが、保守中道革新という構図に改憲か護憲かという立場を組み合わせて、政党の立ち位置を示すことそれじたいを止揚しようとするのであれば、一面画期的な試みともいえます。

 先日紹介した田中秀征氏の第三極論とも通じるところがありそうです。

 言うまでもなく、既存の枠組みのなかでその枠組みを突破する事はできませんし、既成政党の離合集散は本来の意味での政界再編にはあたりません。

 いずれにせよこうした動きが出てくる背景には、参議院での与野党逆転が、必ずしも二大政党による政権交代の前段とはいえなくなっている現実があります。政府与党を追い詰めるのは野党として当然だとしても、ここ数ヶ月の国会の混乱によって、内閣支持率は大きく下げていますが、それに代わる政権をどこが、だれが担うのかについてはまったく現実味を帯びて語られていません。これは野党にとって致命的ともいえます。

 その理由の一つには、民主党は確かに政府与党に対案を示してはいるものの、政策の全体像(いわゆるマニフェスト)を具体的に明示しいないことも要因でしょう。

 そのため、野党が政権をとっても変わらないということではなく、そもそも与野党の根本的な違いがわからないという状況を呈しています。もちろん、暫定税率や一般財源化なども重要な政策課題ですが、マクロな視点での未来構想が、野党の動きから窺い知れないということです。

 かかる状況の総体をさして政治の閉塞状況が生まれているというべきなのでしょう。

 しかし閉塞状況を突破する役割を、それを作り出している既存の政党にできるわけがないことは自明の理です。

 橋本氏の投げたボールが、政界に波紋を起こすかどうか、自身がいま座っている安楽椅子を蹴飛ばして、あえて厳しい条件のもとに身を投じる者が出てくるのかどうか。まずは、注視したいと思います。

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一般財源化と暫定税率

 先日来不思議でならないのは、道路特定財源の一般財源化に踏み込みながら、暫定税率は維持するという福田首相の提案。

 一般財源化するということは少なくとも道路整備の費用を捻出するための暫定税率の存在理由もないはずなのです。福田首相はしきりに環境問題に言及されるのですが、それは次元の異なる話だからです。

 もちろん環境政策の充実は必要ですし、そのための財源を確保することも当然です。環境に負荷を与える行為に租税を課すことそれじたいには僕も異論は差し挟みません。が現行の暫定税率は道路特定財源とひとくくりで語られるべきものです。

 ガソリン税の税率を現行のまま維持し環境問題に対応するというのなら、暫定税率ではなく、恒久税にするとはっきり言うべきでしょう。税の性格が変わるのですから、本気ならそう開き直ってでも国民に理解を求めるべきなのです。

 話は変わりますが、衆議院で与党が3分の2以上を占め、参議院は野党が過半数を抑えているというきわめていびつな逆転国会のおかげで、与党側が法案を通すのに四苦八苦するのは当然です。しかし、最後は再議決になっちゃうケースが多いため、野党側も攻めあぐねる場面が増えてきました。一方、与党にとって3分の2議決のありがたみは手放せないものになりました。その結果、野党が追い詰めれば追い詰めるほど解散が伸びるという奇妙な状況が生まれつつあります。

 与党、野党ともに極めてまれば歴史的な経験の真っ最中なのかもしれません。

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