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保守政党と無産政党

 高校の日本史教科書には、おおむね政党の変遷が図表化されています。

 ひとつは自由党、改進党から始まって、憲政会、政友会、民政党、革新倶楽部等々、いわゆる日本の保守政党の系譜。もうひとつは、戦後日本社会党を形成する無産政党の系譜です。

 戦前、1925年に普通選挙法が制定されて以降、大政翼賛会に政党が事実上吸収されるまでの10数年、無産政党は衆議院に議席を確保します。が、全体から見れば議席は少数でした。社会大衆党が30を超える議席を獲得したのが最高で、もちろんそれでも、議会政治の主導権を握るなど程遠いものでした。

 しかし、政党の離合集散は、保守政党以上に頻繁で、無産政党はそれこそ日替わりメニューのように、分裂を繰り返していました。先に紹介した教科書の図表をみればわかりますが、労働農民党、全国労農大衆党、社会民衆党、農民労働党、日本労農党、無産大衆党、日本大衆党などなど、あまりにめまぐるしいのです。しかもよく似た名称ばかり。

 ちなみにこの戦前の伝統は、戦後からいまにいたるまでいわゆる日本の革新勢力に連綿と受け継がれていると言えます。例えば日本共産党は、党内対立が起これば必ず少数派が切られ、日本社会党の場合も、左右合同後数年を経ずして、民主社会党が分裂、その後は大きな分裂はありませんでしたが、96年の旧民主党への大量離党までの間も、他の政治勢力を糾合することはできない一方で、自民党へ鞍替えする人すら存在したことは事実です。

 おそらく、保守政党に大きな分裂が少なかったのは権力に近いということがあったのでしょう。一方、現実に政治を動かすという点で力量的に及ばない革新勢力は、我が党内に堅牢な秩序をこしらえ、権力の行使を党内で自己完結させたといえます。

 民主集中制などはその典型といえそうですが、家父長制的体質を色濃く持ったのも、むしろ革新勢力の側ではなかったか、と僕などは考えざるを得ないのです。

 卑近な例でいえば、「あの人の指示には逆らえない」「あの人に頼まれたら断れない」式の秩序感覚が革新勢力に属する者のなかにも多いのではないかということです。

 およそ政党という組織は、個人の人間関係の延長上に存在するものではなく、ある一定の理念について共有できる人々が集い作り上げるものです。その作業の過程でよりより人間関係が構築されることは喜ばしいことですが、こうしたあたりまえのありようが革新勢力の中であたりまえといえたのかどうかは、検証する必要がありそうです。

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ごぶさたしております

 ずいぶん長い間書き込みが滞っていたのですが、ちょっと根を詰めた作業があったもので、ほっとひとことって具合の余裕がなかったのです。すみません。

 さて、参議院選挙後、すわ政権交代へ一直線かと思いきや、民主党内部も大変というか、へんてこな事態になっています。報道されている話以上にドロドロした中身が隠れているのでしょうが、福田、小沢両トップの会談は、とりあえずは、福田首相の判定勝ちというところみたいですね。 もっとも僕は、ときどきの政治状況を注視しつつも、いちいちそれにとらわれることなく、国政復帰をかけて頑張るのみです。

 ちなみに、政治を担う政党にせよ、企業にせよ、はたまた個人のありようにせよ、希望的観測や自身への過大評価が判断を誤る要因であるケースが多く見受けられます。

 自分の身の回りのことだけで都合よく解釈しちゃうと、大局を見誤ることは常といっても過言ではないでしょう。

 ただ小沢さんの場合はちょっと違うようです。展望を切り開くなどといえば聞こえはいいですが、「展望がない」というのはそもそも「切り開く」ことができない状況を指しています。小沢さんの場合、自らが代表を務める民主党の展望を過少に評価し、選挙で展望を切り開けないといともあっさり判断したことが、混乱を生んだからです。

 だから、表に出ているさまざまなお話とは筋の違う何かが隠されているのではないかと、想像してしまうのも無理からぬところです。

 いくら小沢さんの発想が国民世論からかけ離れていたとしても、余りにもあからさまに世論に背を向けるが如き行動は、これをやっちゃうと批判を受けることを承知しながら、そうせざるを得ない何かがあったということなのでしょうね。

 政治は一寸先は闇だとよく言いますが、日本の政治それ自体が、別の物に操られているとしたら、それは心霊現象などとは比較にならないほど、恐ろしいことです。

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