« 空中庭園展望台 | トップページ | プロ野球交流戦 »

参議院のあるべき姿

 唐突ながら、衆議院議員を経験した者が、参議院のあり方について云々するのは不遜かもしれませんが、いわゆる「良識の府」としていかに参議院があるべきかってことをあえて述べさせていただきたいのです。

 僕は、行政改革よりも、国会改革こそ先だと考えています。理由は簡単です。行政のあり方を抜本的に見直す力量を持つ立法府がなければ、行革など官僚のお手盛りになることは火を見るより明らかだからです。本題からはそれますが、そのためには、まず国会議員のサポートをする専門スタッフを充実させることです。何万人もの役人を相手に政策秘書一人なんてそもそも無理な話だからです。かといって公設秘書の数を増やしてもたかがしれています。それよりも衆参に設置されている法制局と調査室を霞ヶ関と完全に切り離すとともに、国会議員の立法活動をサポートする専門スタッフ集団として人員と機能の充実を図るのがもっとも適切だと考えるのです。この点はまた別の機会に詳しく述べたいとは思いますが・・・。

 話がそれてしまいました。さて、参議院のあり方の話ですが、現状の問題は、つきつめれれば、衆議院で先に審議された法案を参議院で審議しても、それが同質の内容であることにつきます。同質というのはもちろんどちらかが水準が高くどちらかが低いということではありません。僕が言いたいのは、両院とも政党政治の枠組のなかにあるという意味で同質だということです。

 すなわち政党政治の論理での審議が二度行われるところに僕は参議院のあり方を根本的に見直すべき理由があると思うのです。

 衆議院が政党政治ならば、参議院はまったく違う論理を対置させることこそ本来の「良識の府」としてのあるべき姿ではないでしょうか。衆議院は政党政治の枠組みで与野党が対決し、参議院は政党政治そのものに対峙するという構図をつくることで、政治そのものの緊張感を高め、その多元化を図るのです。

 この主張はべつに突飛なものではありません。戦後貴族院が廃止され参議院ができたときは、その理想を体現しようというムードがなかったわけではないからです。緑風会という会派が存在しえたのも、衆議院とは違うんだという参議院の矜持があったからにほかなりません。また、政党政治の枠組みという限界はありますが、参議院の自民党も、1970年代初頭までは、既成派閥に系列化されず参議院独自の秩序を保っていました。(もっともそれが家父長制化しその反発から当時の自民党田中派と社会党が共闘して当時の参議院のドンを引きずりおろすのですが・・・)

 いずれにせよ、参議院改革は既成政党に系列化された現状では困難です。自身で自身の身を削るなど誰しもいやがるからです。しかし、漸進的にでも改革をするためには、参議院の選挙制度を再検討することが必携です。衆議院に先んじて比例代表制を導入したこと自体が参議院の独自性の担保という点では愚行であったと僕は考えますから、まず参議院選挙の比例代表選挙は廃止すべきです。特定の組織をバックにする候補者か著名人しかまともに選挙ができない全国一選挙区(現行の比例区)も併せて廃止すべきでしょう。そして例えば、定数を200とし、全国をいくつかのブロックに分け(現行衆議院の11ブロックでもかまいませんが)大選挙区制のもとで、3年ごとに半数を改選するというのはどうでしょうか。さらに、無所属や現行では政党要件を満たさない政治団体と要件を満たす政党との間に選挙運動における不平等を撤廃することも重要でしょう。

 いずれにせよ、代議制民主主義の多元化、豊富化について、そろそろ真剣に検討する時期ではないかと僕は考えるのです。 

 

|

« 空中庭園展望台 | トップページ | プロ野球交流戦 »

「経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/123649/15311841

この記事へのトラックバック一覧です: 参議院のあるべき姿:

« 空中庭園展望台 | トップページ | プロ野球交流戦 »