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安倍首相に憲法を論じる資格はない!?

 連休明けの月曜日、一般紙は休刊なもんで、つい、なんでもいいやって週刊現代を買ったのです。大した記事はないなあとぱらぱらめくると、「安倍晋三に憲法改正を任せてはいけない!」ってのが目に入りました。保坂正康、福田和也両氏の対談なんですが、むろんどちらもいわば保守の方。改憲そのものにはさほどの抵抗はなさそうなのですが、ありていに言えば、安倍晋三づれに憲法なんぞという高尚なものを玩ばれるのは片腹痛いってことのようなのです。

 いまさら、安倍首相の底の浅さなど明々白々ですが、保坂氏(展人さんではありません。念のため)の指摘は、かなり的確です。氏は、安倍首相が「戦後レジームからの脱却」という言い方で、改憲を課題としている点をとらえ、

 「確かに、現行憲法が制度疲労を起こしたり現実と乖離したりしているのは事実です。だからレジームを変えなければならないのは当然」と述べられます。この点は、僕はまったく正反対の見解をもっていますが、大事なのは次に保坂氏が、

 「戦後レジームを論じる場合は、それが戦前レジームと対になっていて歴史的な耐用性をもっていたという事実を踏まえないといけないと思う。戦前のレジームを押さえたうえで、「戦後のレジームにもそれなりに効用はあったけれど、もう賞味期限は過ぎたんだ」という説明をしないと私は納得しませんね」と述べている点です。

 戦前と戦後レジームがいわば合わせ鏡のようにあることは当たっているでしょう。言い換えれば、大日本国帝国憲法と日本国憲法が対になっているということです。少なくとも保坂氏は後者よりも前者のほうが正当性があるなどという稚拙な議論はされません。現行憲法がもつ耐用性を認めつつ、戦前、戦後双方を止揚する論理がないとだめだと説くのです。

 僕がこの点を重視するのは、安倍首相の改憲論の空虚を見事に言い当てているからに他なりません。自らが理想とする日本の未来像を「美しい国」と象徴するのは個人の自由の範疇です。しかし、未来像のデッサンがないまま、まるで国の根幹たる憲法を変えれば万事解決するかのごとき、というか、改憲それじたいが自己目的化されている精神の貧困さは、むしろ改憲を真剣に考える者ほど腹立たしいでしょうね。

 もっとも、保坂氏も「戦後レジームの脱却」などというスローガンの意味合いを真剣に検討される誠実さは買うにしても、そのことじたい安倍首相をかいかぶっているようにも思えますが。だって、それを言っている当の本人さえ「戦後レジーム」ってなんなのかわかっているとは思えないですから。まあ、僕なんぞは安倍晋三なる人物が内閣総理大臣になるあたりに「戦後レジーム」なるものの脆弱さを見出してしまいますけど。

 「安倍が憲法改正や教育問題といったことを政治的争点にするのは、財政や福祉など、根を張った現実問題に対処できないからとしか思えませんね」

 と、保坂氏は締めくくっています。まあ、そんなとこなんでしょうけれど、その程度のことで改憲手続法=国民投票法が成立しちゃうってあたりに、まさに「戦後レジーム」を脱却しなければならない理由があるように僕は思います。

 安倍首相には気に入らない戦後なんでしょうが、こっちに言わせれば、アンタのじいさんたちが十分すぎるほどに「戦後レジーム」をボロボロにしたでしょって言いたいですよね。傷だらけの「戦後レジーム」を超えて、21世紀は「平和レジーム」の時代としたいものです。平和憲法を守ることこそ「戦後レジームからの脱却」を意味するのです。

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