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政治活動における格差

 政治に対する関心の度合でいえば、確かに中高年層に比べて若年層のほうが薄いことは確かでしょう。問題はその理由です。おそらくいくつか挙げることができるでしょうが、その一つに政治に直接関わる機会が少ないということも背景にあるのではないでしょうか。

 ここでいう直接とは投票する機会ではなく、例えば選挙に関わるとか、議員となんらかの付き合いがあるとかいった類です。最近は議員インターンシップが盛んですから、けっこう学生も議員活動に直接触れる機会はあるでしょうが、社会経験の一つという範疇から超える場合はそんなに数多くはないようです。というのは、学生自身が私淑する議員とめぐり合えるとは限りませんし、そうしたキャリアを積むことが就職のメリットにもなるという現実的な判断で政治の世界にも関わっておくという問題意識の学生も多いからです。

 ただ僕は、年齢層が若くなるにつれて、議員との直接の関係が希薄になることそれ自体はむしろ歓迎すべきだと思うのです。というのは、議員とのつながりというのは、表面上はなんとでも言えますが、実際にはなんらかのしがらみがあるか、具体的な便宜供与を期待しているケースがほとんどだからです。現実に議員が評価されるのはその政策云々というよりも、例えば、就職の世話、入院の世話など個々の陳情をどれだけこなしているかに比重があることははっきりしています。

 そのことと重なり合った政治活動に縁が薄いという点では、一般的に関心が低いとされる若年層に、政治文化を変革する担い手としての期待を持つのはむしろ自然なことではないでしょうか。

 既存の政治に若年層が関心を持たないことを嘆く必要はないのです。むしろそこに新しい政治像を描く可能性こそ見い出すべきなのです。

 ただ、物理的に政治活動に身をおくことは現役世代、若年層にとってリスクをともなうものです。年金を受け取っている世代でも政治活動ができる人は、そこそこの年金を貰い時間の余裕がある層に限られます。まして自身で働き食っていかなければならない世代に、少なくとも利潤を生み出さない政治活動に挺身するなど、よほどでないと困難なのです。

 政治なんて結局一部の人たちのもので、投票に行くだけではなんにも変わらない、という発想は、決して健康的とはいえないにせよ、現実の壁を言い当てていることは確かです。いくら議会制民主主義が制度としてあっても、一定の年齢に達すれば選挙権、被選挙権が付与されるにせよ、自身が主体的に政治に参画することイコールあらかじめ用意されたメニュー(政党・候補者)を選ぶという行為でしか担保されないなんて、むしろ社会に対してさまざまな意見を持つ者ほど萎えてしまうのではないでしょうか?

 誰しもが物言いができる、その条件をいかに規制緩和するかこそ政治改革の基本ではないでしょうか。誰しもが同じ条件で政治に参画できる条件こそいま求められるのではないでしょうか。しかし、そうした問題に政党や市民派と呼ばれる既存の政治勢力、議員があまり触れないのは残念ですね。

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