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2007年2月

政府は目的意識的に格差拡大を進行させている

 僕がこの主張をするのは、べつに初めてのことではありませんが、要するところ、社会格差の拡大とその固定化は、政府の政策によって人為的になされていることが本質的な問題なのです。

 まず背景となる事実を押さえておきましょう。よく今回の景気がいざなぎ景気を超えたなどとアナウンスされていますが、いざなぎ当時のGDPの伸び率が給与に反映していたのに対し、今回はそういう事実はまったく認められないのです。どころか給与面では格差の拡大が明白なのです。資本金1000万未満の企業に勤めるサラリーマンの所得は約10年で、平均260万から220万まで下がっています。一方で、資本金10億以上の役員報酬は僕の知る範囲では、1400万から2800万に上昇、ほぼ倍増です。ちなみに勤労者の多数は中小企業に勤務していますから、給与所得面では貧富の差は明確に拡大しているのです。

 では、いわゆる国民の負担がどう変わっているのか、をこれもデータでみると、明らかに中低所得者層を直撃しています。定率減税廃止がサラリーマンの負担増に直結しているのは言うまでもありませんし、老年者控除などの廃止は高齢者をの暮らしに大打撃を与えています。定率減税廃止だけでも3兆3000億の負担増、社会保障制度改悪の分も加えれば13兆あまりの国民負担増なのです。

 一方、財界の要求はといえば、非正規雇用とホワイトカラーエグゼンプションで人件費をスリム化し、それにとどまらず法人税は減税しろというのですから、理不尽にもほどがあります。ちなみに消費税増税をしなければ年金福祉財源が賄えないなどとまことしやかに流布されていますが、法人税の減収分を消費税増税で補おうという腹積もりですから、消費税率を上げた分が福祉にあてられるわけではないのです。

 まさに十字砲火ともいうべき国民生活破壊を、財界の意向に忠実に実行しようとしているのが、安倍内閣なのです。それは決して国民の生活安定を考えているのだけれどやっていることが間違っているという類では断じてありません。もっといえば、社会格差を拡大し固定することが彼らの目的だというべきなのです。

 ですから、彼らに格差拡大の問題を追及しても、内心は「そのつもりなんだから」ってことになるでしょう。先日はそれを実に正直に小泉前首相がおっしゃってましたし。為政者は、格差拡大を事実として示されればされるほど、「わが政策は成功している」とほくそえんでいることに気づくべきなのです。

 その点からすれば、社会格差の是正を争点にするなどという生ぬるいことではなく、格差を拡大し一部の富める層が社会を支配する政治を選ぶの否かこそを前面に打ち出して政治決戦をたたかうべきでしょう。

 今年のうちに、いまの政府与党を野に下らせない限り、政治が主権者たる国民と乖離するなどという生易しいものではなく、政治は国民を支配するツールと化してしまうのです。まさに危機を国民にきちんと伝えることができ、その共感が得られる政治勢力が存在するかどうか、既存の野党がそのことに敏感であるかどうかが問われます。もちろん僕も敏感に反応したいと思います。

 

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忠誠心???

 ほんまアホみたいな話なのが、中川自民党幹事長のコメント。安倍首相は若いけれどかりそめにもナイカクソーリダイジンなのだから、「閣僚や官僚は首相への絶対的な忠誠と自己犠牲の精神が求められている」ですと・・・。

 いつから安倍ソーリは専制君主になったんですかねえ。自己犠牲の精神は国民に対して求められているんだなどという考えは、ひょっとして間違っているのかしら、と思わず自問自答したワタクシでありました。おそらく間違っているんでしょうね。というか、曲がりなりにも、一応でも、不十分であっても日本が民主主義を旨とする国家なんだって認識が誤っているんだろうと、僕なりに結論を出した次第。

 しっかし、わがニッポン国の専制君主の情けないこと。さきの中川コメントには後段があって「首相が入室しても起立できない、私語を慎めない政治家は内閣にふさわしくない」からもっと忠誠心を持てってことらしいのです。官邸では小学低学年の世界が満開ってとこみたいですね。

 ソーリが部屋に入ってきても、鼻くそをほじくりながら足を組んで踏ん反り返ってる官僚や、閣議でソーリが発言してもおかまいなしにゴルフ談義に興じているダイジンたちがいるんでしょうか? 確かに風紀が乱れているのなら、生活指導の先生の出番ではありますが。

 官邸の風景のアホらしさは想像にかたくありませんが、それに敢然と「苦言」を呈する存在はさぞやソーリには心強いことでしょう。まったくもってご同慶の至りであります。

 まあ、人間エラくなると、一般常識では恥ずかしいことを恥ずかしいとは思わなくなるんでしょうが、彼らを養っているのはわれわれ納税者なんだということだけは、彼らがすっかり忘れていても、われわれはしっかり心に刻んでおくべきですね。

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租税原則の見直し

 政府税調の香西会長は、記者会見で「租税原則を見直すことが必要になっている」と述べ、理念そのものを再検討することを示唆したそうです。

 いうまでもなく「公平・中立・簡素」が税制の理念です。が、それを「経済成長重視型」とやらに転換するのが眼目のようです。

 ここで「公平」とされる理念は、税負担の能力に応じて課税するという応能負担の原則をうたったものです。どうやらそれを「公正」と言い換えるつもりらしいのですが、その結果は応能ではなく応益に転換することを意味します。もっと言えば、「努力」してお金をもうけた人は少々の負担、「そうでない」人は、社会に貢献していないから税で貢献してもらうってことになるのです。簡単に言うと、お金持ちは税負担がより軽く、ビンボー人ほど重いってことです。これって、税の持つ所得再分配機能を完全に取っ払うということを意味します。

 「中立」ってのは、例えば、産業や業種の間で中立であるべきという原則で、それからすると特別措置、優遇措置ってのはそもそも見直すべきなのです。が、これを取っ払って「活力」を原則にするとうのです。ありていに言えば、現在でもその中立性を侵している税制を既成事実化するというわけです。

 こうした方向は、つねづね不公平税制として批判されるいまのあり方を、基本原則をj変えてしまうことで正当化することを意味するのです。原則にそった批判を受けるとしんどいから、いっそ原則を変えちゃえってことなのです。

 そして原則さえ変えちゃえば、財界・大企業にとって都合よくそのさじ加減で、好きなように税制を変えることができるのです。冒頭の「成長重視」ってのは言い換えれば儲かっているところからの税金はまけてやるってことなのです。

 要するところ「税制の原則はビンボー人から搾り取ることだ」ってわけです。

 よれよれの安倍内閣を財界あげてさせている理由の一つがこれなのです。

 まがりなりにも選挙という民主主義の道具がある間に、邪悪なもくろみは潰さなければなりませんね。

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柳沢大臣の発言

 「女性は子どもを産む機械」発言で袋叩きにあっても、学習効果がないのか懲りないのか、今度は「子どもが2人以上いたら健全」なんだそうです。

 柳沢厚生労働大臣の発言をめぐる批判はすでに出尽くしているような感がありますが、僕なりにおさらいしておきます。

 一連の発言は端的に言えば「差別発言」です。人を機械に見立てたことと女性の役割を子どもを産むことに限定したという二つの要素からみて、女性の人権を明らかに侵害したものだからです。差別発言はそれを発した者が主観として差別意識を持っていたか否かではなく、その発言の差別性が問題にされることはいうまでもありません。ですから、柳沢さんが「悪気はなかった」式に謝っても、なんの意味もないのです。まずこのことが第一。

 しかし、差別を糾すというのは、差別した側の人間を貶めたり、その地位を脅かすための道具では決してありません。むしろ自身の姿勢を見つめ直していただき、今後前向きに人権問題と向き合う契機にしていただいてこそ意味があるのです。その点から言えば、柳沢さんが問題発言をしたことイコール大臣罷免ということにはなりません。仮に柳沢さんが自ら大臣の職を辞したとしても実のところ何ひとつ問題は解決されません。これが第二。

 今回の場合も、もちろん発言そのものも批判の対象になりますし、政治家個人として柳沢さんが指弾されるべきは当然です。ですから批判を受けて以降の柳沢さんの態度が問われるのです。例えば、「総理のご厚意にむくいるため」にその職を全うしたいなどという発言は、自身が何ゆえ指弾されているかを理解していないか、批判それ自体を黙殺するに等しいものです。もし、その反省の上に立って職務を続けたいというのなら、少子化対策のこれまでの施策を洗い出し総括し、せめて新規施策の一つでも提案したいとでもおっしゃるべきでしょう。といったこともないまま、ただ大臣職に居座り続けるのは厚生労働大臣の器にあらずというべきです。むしろ再開された予算審議でこそ野党は強く罷免もしくは辞職を要求すべきなのです。これが第三です。

 そして四つ目。今回の最大の問題は、柳沢さんの発言を「問題だ」と言いつつ、安倍首相がかばい続けている点です。安倍首相には「発言は問題だが、平身低頭すればなんとかなる」という貧相な発想があるのでしょうけれど、かばった瞬間、柳沢さんの認識を内閣として共有することになるってことになぜ気づかないのでしょうか。もっとも気づいているのにあの調子なら、安倍内閣の人権感覚がますます問われますが。

 要するところ、「機械」であるかないかを言葉で表現することが言い悪いの問題ではなく、安倍内閣は少なくとも少子化対策において、もっというならその政治姿勢すべてにおいて、人を「機械」と見立てていることを明白にしたのが今回の一件の本質なのです。

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